日本と、日本人に、大いに尽くしてくださり、
日本を代表して、
『大感謝』させて、いただきます。
ご冥福を、お祈りいたしております。
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大震災後に日本移住、ドナルド・キーンさん死去
古典から戦後作家の作品まで幅広く日本文学を海外に紹介し、戦後の海外の日本文化研究の基礎を築いた米国生まれの日本文化研究者で、コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさんが24日午前6時21分、心不全のため東京都内の病院で亡くなった。96歳だった。葬儀は親族で行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は養子のキーン誠己(せいき)氏。
1922年、ニューヨーク生まれ。コロンビア大在学中に日米が開戦、米海軍の日本語学校に入った。ハワイや沖縄で軍捕虜の取り調べや日本兵の日記解読などを担当。この体験と18歳で読んだ英訳「源氏物語」に魅了されたのが日本文学研究のきっかけとなった。
戦後にコロンビア大に戻り、近松門左衛門や松尾芭蕉、井原西鶴など日本文学を学び、英・ケンブリッジ大に留学。「日本人の西洋発見」「日本の文学」を発表した。53年、「日本文学を理解するため文化や暮らしを体で知りたい」と、京大大学院に留学。帰国後、コロンビア大の教壇に立った。
その後も日米を往復して、古典文学の研究や後進を育てるとともに、三島由紀夫や安部公房、司馬遼太郎など、同時代の作家たちと親密に交流。サイデンステッカーらと並び、戦後の米国の日本文学研究の第1世代を担った。
76年から、外国人としては初の本格的な通史「日本文学史」(後に「日本文学の歴史」と改題)の刊行を始めた。「百代の過客――日記にみる日本人」で85年、読売文学賞を受賞した。86年にはコロンビア大に「ドナルド・キーン日本文化センター」が設立された。
2002年に「明治天皇」で毎日出版文化賞。06年から1年間、読売新聞に「私と20世紀のクロニクル」を連載した。東日本大震災後に日本移住を決意し、12年に日本国籍を取得。「正岡子規」「石川啄木」など、90代に入ってなお多くの評伝を刊行した。
1975年に勲三等旭日中綬章、93年には勲二等旭日重光章。2008年には文化勲章を受章した。
1922年、ニューヨーク生まれ。コロンビア大在学中に日米が開戦、米海軍の日本語学校に入った。ハワイや沖縄で軍捕虜の取り調べや日本兵の日記解読などを担当。この体験と18歳で読んだ英訳「源氏物語」に魅了されたのが日本文学研究のきっかけとなった。
戦後にコロンビア大に戻り、近松門左衛門や松尾芭蕉、井原西鶴など日本文学を学び、英・ケンブリッジ大に留学。「日本人の西洋発見」「日本の文学」を発表した。53年、「日本文学を理解するため文化や暮らしを体で知りたい」と、京大大学院に留学。帰国後、コロンビア大の教壇に立った。
その後も日米を往復して、古典文学の研究や後進を育てるとともに、三島由紀夫や安部公房、司馬遼太郎など、同時代の作家たちと親密に交流。サイデンステッカーらと並び、戦後の米国の日本文学研究の第1世代を担った。
76年から、外国人としては初の本格的な通史「日本文学史」(後に「日本文学の歴史」と改題)の刊行を始めた。「百代の過客――日記にみる日本人」で85年、読売文学賞を受賞した。86年にはコロンビア大に「ドナルド・キーン日本文化センター」が設立された。
2002年に「明治天皇」で毎日出版文化賞。06年から1年間、読売新聞に「私と20世紀のクロニクル」を連載した。東日本大震災後に日本移住を決意し、12年に日本国籍を取得。「正岡子規」「石川啄木」など、90代に入ってなお多くの評伝を刊行した。
1975年に勲三等旭日中綬章、93年には勲二等旭日重光章。2008年には文化勲章を受章した。
