徳川19代目
徳川 家広(とくがわ いえひろ、旧字体:德川 家広、1965年(昭和40年)2月7日 - )は、日本の政治経済評論家[1]、翻訳家、作家。徳川宗家次期当主で、公益財団法人徳川記念財団理事。長崎大学国際連携研究戦略本部客員教授。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校特別講演講師。
人物 [編集]
父は徳川宗家第18代当主、元日本郵船副社長で徳川記念財団理事長の徳川恆孝。血統的には松平容保の男系の玄孫にあたり、水戸徳川家の藩祖徳川頼房の長子松平頼重の男系子孫である。また徳川家達の玄孫、島津久光の来孫、島津忠義の玄孫、鍋島閑叟の来孫、鍋島直大の玄孫、池田詮政の玄孫でもある。子女はない。
翻訳・執筆活動のほかに、新聞、雑誌など各メディアで評論活動も展開し、徳川宗家次期当主としての文化活動やプロデュース活動も行っている。
評論家の宮崎哲弥とは慶應義塾大学時代に同じゼミに属し、宮崎は徳川のことを「私の大学時代の親友」としている(『M2』)。
経歴[編集]
その後、慶應義塾大学経済学部卒業を経て、米ミシガン大学大学院で経済学修士号を取得する。財団法人国際開発高等教育機構(FASID)、国際連合食糧農業機関(FAO)のローマ本部、ベトナム(ハノイ)支部に勤務し、その後コロンビア大学大学院政治学研究科を修了し、政治学修士号を取得(国際関係論)。2001年に帰国する。
1997年頃、FAOベトナム支部勤務時代に11歳下のベトナム人女性と知り合い、恋仲となる[2]。早々にこの女性との結婚を決意し、2001年に日本へ帰国[2]。2006年頃、両親は猛反対したが意を曲げずこの女性と婚姻した[2]。
2012年10月、政策フォーラム「日本の選択」の設立に参加し、座長となる[4]。
2016年には、各地で開催された「徳川家康没後400年記念 天下太平 徳川名宝展」[5]をプロデュース、その最初の開催地広島市では、菓子会社・にしき堂が「徳川宗家十九代 徳川家広氏プロデュース」の「葵もみじ」を発売[6]、2017年には浜松市の菓子会社・春華堂(うなぎパイの製造・販売元)が「徳川宗家十九代 徳川家広氏の監修」として慶長小判を象った最中を発売した[7]。

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<北海道>徳川家広氏が知事選不出馬 今後は動画で発信へ
2/20(水) 11:40配信
4月の知事選への立候補を検討していた、徳川将軍家19代目の徳川家広氏が20日、不出馬を表明しました。
徳川氏「今回の知事選挙に関しては、見送らせていただきます。北海道の皆さんのお気持ちと生活実感について、いかにも私の理解が浅かったとたいへん不勉強であると痛感しまして、これはまだ時期尚早であるなと感じたためであります」
政治経済評論家の徳川氏は20日午前、札幌市内でこのように述べ、知事選に立候補しないことを明らかにしました。今後の政治活動については、白紙の状態だとしたうえで、北海道の美しい景色などをYouTubeなどで英語で発信したいと話しました。
徳川氏「今回の知事選挙に関しては、見送らせていただきます。北海道の皆さんのお気持ちと生活実感について、いかにも私の理解が浅かったとたいへん不勉強であると痛感しまして、これはまだ時期尚早であるなと感じたためであります」
政治経済評論家の徳川氏は20日午前、札幌市内でこのように述べ、知事選に立候補しないことを明らかにしました。今後の政治活動については、白紙の状態だとしたうえで、北海道の美しい景色などをYouTubeなどで英語で発信したいと話しました。
HTB北海道テレビ