女性から性転換した男性、米史上初プロボクサーとしてデビュー戦勝利
スーパーフェザー級のパトリシオ・マニュエル(33歳)がアメリカ史上初のトランス男性プロボクサーとして試合を行った。「残酷で憎しみに溢れた言葉を容赦なく投げつける人々の中で生きてきた。そんな人生に怒りを覚えることすら連中の思う壺だから、俺は絶対にしない」と、プロボクサーのデビュー戦を勝利したパトリシオは語る。
パトリシオ・マニュエルは、2018年の最後の月に一つの歴史を作った。彼はアメリカ国内で行われたプロボクシングの試合で、女性から男性へ性転換したボクサーとして初めて試合を行ったのである。この試合はCalifornia State Athletic Commission(CSAC:カリフォルニア州運動委員会の意)によって認可された。CSACは近年アメリカ国内の格闘技規制の最前線をゆく団体だ。
33歳のマニュエルは女性として育ったが、子供の頃から自分は男だと信じていた。女性としてアマチュアボクシング選手権で何度か優勝し、2012年にはオリンピック選考大会に出場する資格も得ている。しかし、負傷によってこの機会を失い、これが大きなきっかけとなり、性別適合手術を受ける決断をした。
「俺はボクシングが大好きだったが、あの頃は自分の身体を見るのがいつも辛かった。そして『お前は誰だ? どうしたら満足できる?』と自問していた」と、マニュエルがNPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)に語った。「いつも『ボクシングで幸せになれる』と思っていたが、ボクシングは俺にとってスポーツ以上のものだ。だから(負傷で)取り上げられたとき、俺は自分自身を見つめ直すしかなかった。そして『試合の勝ち負け以上の意味がボクシングにはある』と気付いたんだ」と。
それから少しして、マニュエルは医療による性転換に着手した。まずはホルモン治療を行い、次に乳腺を切除した。女性としての最後の試合から2年間でマニュエルは6,000ドル(約67万円)かけて乳房を切り取り、男性の胸部を造ったのである。彼の祖母がこの費用をすべて援助してくれた。
この手術がマニュエルのボクサー人生に予期しなかった影響を与えた。男性となったマニュエルは、それまで一緒に練習していたジムの仲間や関係者から疎まれるようになり、違うボクシングジムへ移籍する必要性をひしひしと感じたのである。彼が移籍したのがデュアート・ボクシングジムで、ここのトレーナーであるヴィック・ヴァレンズエラが快く受け入れて、練習しやすい環境を整えてくれた。
そして、マニュエルが試合に復帰したのは2016年だった。対戦相手を探すのが困難だったが、アマチュア戦で2回対戦し、両方とも接戦となり、審判の採点が分かれる結果となった。この結果を受けて、マニュエルはプロボクサーになる決断を下す
パトリシオ・マニュエルは、2018年の最後の月に一つの歴史を作った。彼はアメリカ国内で行われたプロボクシングの試合で、女性から男性へ性転換したボクサーとして初めて試合を行ったのである。この試合はCalifornia State Athletic Commission(CSAC:カリフォルニア州運動委員会の意)によって認可された。CSACは近年アメリカ国内の格闘技規制の最前線をゆく団体だ。
33歳のマニュエルは女性として育ったが、子供の頃から自分は男だと信じていた。女性としてアマチュアボクシング選手権で何度か優勝し、2012年にはオリンピック選考大会に出場する資格も得ている。しかし、負傷によってこの機会を失い、これが大きなきっかけとなり、性別適合手術を受ける決断をした。
「俺はボクシングが大好きだったが、あの頃は自分の身体を見るのがいつも辛かった。そして『お前は誰だ? どうしたら満足できる?』と自問していた」と、マニュエルがNPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)に語った。「いつも『ボクシングで幸せになれる』と思っていたが、ボクシングは俺にとってスポーツ以上のものだ。だから(負傷で)取り上げられたとき、俺は自分自身を見つめ直すしかなかった。そして『試合の勝ち負け以上の意味がボクシングにはある』と気付いたんだ」と。
それから少しして、マニュエルは医療による性転換に着手した。まずはホルモン治療を行い、次に乳腺を切除した。女性としての最後の試合から2年間でマニュエルは6,000ドル(約67万円)かけて乳房を切り取り、男性の胸部を造ったのである。彼の祖母がこの費用をすべて援助してくれた。
この手術がマニュエルのボクサー人生に予期しなかった影響を与えた。男性となったマニュエルは、それまで一緒に練習していたジムの仲間や関係者から疎まれるようになり、違うボクシングジムへ移籍する必要性をひしひしと感じたのである。彼が移籍したのがデュアート・ボクシングジムで、ここのトレーナーであるヴィック・ヴァレンズエラが快く受け入れて、練習しやすい環境を整えてくれた。
そして、マニュエルが試合に復帰したのは2016年だった。対戦相手を探すのが困難だったが、アマチュア戦で2回対戦し、両方とも接戦となり、審判の採点が分かれる結果となった。この結果を受けて、マニュエルはプロボクサーになる決断を下す
その強い意志に感動したんだ。彼は私がこれまで会ったどのアスリートとも違う。
親指の負傷により、マニュエルのプロボクサーとしての強い願望に一時期待ったがかかったが、けがが完治した彼は試合の機会を探し続けた。そんなマニュエルの話を聞いたのがオスカー・デ・ラ・ホーヤが所属するゴールデン・ボーイのプロモーターで、特に社長のエリック・ゴメスがマニュエルに興味を示したのだった。
ゴメスがロサンゼルス・タイムス紙に語ったところによると、彼はマニュエルに門戸を開いて、試合ができるプラットフォームを与えられる地位にいた。
「とても刺激を受けたね」とゴメス。「これはボクシングの試合以上に意味のある大きなことだ。ボクシングは非常にタフなスポーツだが、そこにパットが生きてきた人生の大変さを加えたら、想像を絶する状態だ。心の中の葛藤や肉体の転換の苦痛を考えたら、その後にそれでも試合をしたいと思うのか?
「その強い意志に感動したんだ。彼は私がこれまで会ったどのアスリートとも違う。この仕事を20年続けている私がそう思うんだからすごいよ」と。
アマチュアとして試合に出場する資格を得るのは複雑だったが、マニュエルはそのチャンスを得た。これにはブラジルのリオデジャネイロで行われた2016年のオリンピックを前に、米国ボクシング連盟が施行した新たな方針が有利に働いたのだった。国際オリンピック委員会が、女性から男性へと性転換した(FTM)アスリートは「制限なし」に試合に参加できるようにすべしと決定したことを受け、アメリカ国内でアマチュアの試合を運営管理する運営組織がマニュエルにカリフォルニア州で試合に参加できる資格を与えたのである。
しかし、このルールはプロの資格には適用されない。そのため、マニュエルがプロに転向する決断をしたとき、CSACは独自の判断を下す必要に駆られた。ところが、このCSACはアメリカ国内でも最も進歩的な団体で、マニュエルがFTMアスリート専用のプロ資格ガイダンスに従えば、試合への出場を認めると判断した。
ローリングストーン誌が入手したCSACの声明によると、マニュエルは素直にガイダンスに従ったという。
そして、「マニュエルは資格取得の条件を満たしており、カリフォルニアが認可したイベントで試合を行えるだけの実力を備えている」と声明に書かれていた。
マニュエルのプロデビュー戦はカリフォリニア州インディオで12月9日に行われた。対戦相手は勝ち星のないヒューゴ・アギラーで、マニュエルは4ラウンドを終えたところで全員一致の判定勝ちとなった。
この試合を見ていた観客はマニュエルの勝利パフォーマンスに複雑な反応を見せていたが、それでもマニュエルは喜びを隠さなかった。リングの中で、彼はこれまで受けてきた数々の憎しみについて語り、今の自分には克服すべき障害は一切ないと明言した。
「俺は黒人のトランス男だ」とマニュエル。「俺は残酷で憎しみに溢れた言葉を容赦なく投げつける人々の中で生きてきた。俺にブーイングする連中。それは俺じゃなくて連中の問題だ。連中は俺のことを知らない。俺が克服してきたことが何か知らない。俺がこのスポーツをどれだけ愛しているか知らない。やっているときの俺の幸せを知らない。そんな人生に怒りを覚えることすら連中の思う壺だから、俺は絶対にしない」。
33歳でデビュー戦のプロボクサーのマニュエルが、トップクラスのボクサーになるのは簡単ではない。しかし、それでも彼は挑戦し続ける。そしてリングで最高のボクサーになろうとしている。
「これは1回だけの試合じゃないし、宣伝のためのスタントでもない」と言って、マニュエルが続けた。「これは俺が愛してやまないことで、俺の人生を全部注ぎ込んできたことだ。俺自身をすべて犠牲にして得たものだ。そして、これはほんの始まりに過ぎないんだ」と。
ゴメスがロサンゼルス・タイムス紙に語ったところによると、彼はマニュエルに門戸を開いて、試合ができるプラットフォームを与えられる地位にいた。
「とても刺激を受けたね」とゴメス。「これはボクシングの試合以上に意味のある大きなことだ。ボクシングは非常にタフなスポーツだが、そこにパットが生きてきた人生の大変さを加えたら、想像を絶する状態だ。心の中の葛藤や肉体の転換の苦痛を考えたら、その後にそれでも試合をしたいと思うのか?
「その強い意志に感動したんだ。彼は私がこれまで会ったどのアスリートとも違う。この仕事を20年続けている私がそう思うんだからすごいよ」と。
アマチュアとして試合に出場する資格を得るのは複雑だったが、マニュエルはそのチャンスを得た。これにはブラジルのリオデジャネイロで行われた2016年のオリンピックを前に、米国ボクシング連盟が施行した新たな方針が有利に働いたのだった。国際オリンピック委員会が、女性から男性へと性転換した(FTM)アスリートは「制限なし」に試合に参加できるようにすべしと決定したことを受け、アメリカ国内でアマチュアの試合を運営管理する運営組織がマニュエルにカリフォルニア州で試合に参加できる資格を与えたのである。
しかし、このルールはプロの資格には適用されない。そのため、マニュエルがプロに転向する決断をしたとき、CSACは独自の判断を下す必要に駆られた。ところが、このCSACはアメリカ国内でも最も進歩的な団体で、マニュエルがFTMアスリート専用のプロ資格ガイダンスに従えば、試合への出場を認めると判断した。
ローリングストーン誌が入手したCSACの声明によると、マニュエルは素直にガイダンスに従ったという。
そして、「マニュエルは資格取得の条件を満たしており、カリフォルニアが認可したイベントで試合を行えるだけの実力を備えている」と声明に書かれていた。
マニュエルのプロデビュー戦はカリフォリニア州インディオで12月9日に行われた。対戦相手は勝ち星のないヒューゴ・アギラーで、マニュエルは4ラウンドを終えたところで全員一致の判定勝ちとなった。
この試合を見ていた観客はマニュエルの勝利パフォーマンスに複雑な反応を見せていたが、それでもマニュエルは喜びを隠さなかった。リングの中で、彼はこれまで受けてきた数々の憎しみについて語り、今の自分には克服すべき障害は一切ないと明言した。
「俺は黒人のトランス男だ」とマニュエル。「俺は残酷で憎しみに溢れた言葉を容赦なく投げつける人々の中で生きてきた。俺にブーイングする連中。それは俺じゃなくて連中の問題だ。連中は俺のことを知らない。俺が克服してきたことが何か知らない。俺がこのスポーツをどれだけ愛しているか知らない。やっているときの俺の幸せを知らない。そんな人生に怒りを覚えることすら連中の思う壺だから、俺は絶対にしない」。
33歳でデビュー戦のプロボクサーのマニュエルが、トップクラスのボクサーになるのは簡単ではない。しかし、それでも彼は挑戦し続ける。そしてリングで最高のボクサーになろうとしている。
「これは1回だけの試合じゃないし、宣伝のためのスタントでもない」と言って、マニュエルが続けた。「これは俺が愛してやまないことで、俺の人生を全部注ぎ込んできたことだ。俺自身をすべて犠牲にして得たものだ。そして、これはほんの始まりに過ぎないんだ」と。
Translated by Miki Nakayama
Mike Bohn