この記事の、下のコメントには、関心がありませんが、
「日本のお総菜パン」について、
これは、単純です。
1) 論議する必要のないくらい
「日本のお総菜パン」は、
「和食」(伝統的という意味で)じゃありませんが、
「現代日本食」です。
(欧米でも、すごい勢いで、アンパン、カレーパンはありませんが、お総菜パンは、大発展しております)
料理のカテゴリーの中での
フレンチでもない、
イタリアンでもない
「洋食」という位置づけと同様で、
日本のお総菜パンは
一つのカテゴリーです。
2) 洋食を、ルーツや、アレンジは、ともかくも、
本物の、伝統的な西洋料理と呼ぶのは、
「インチキ」であり、「間違い」なわけと同様に、
「日本の、お総菜パン」は
元となったルーツや、
アレンジは、ともかくも、
上記の、洋食や、ラーメンなどと同様に、
「現代日本の食」といって、
間違いではないようです。
ラーメンなどと同様に、
「独自の物」
「日本で創造されたもの」という呼び方などは
100%、嘘であり、間違いであるのと同様に
オリジナル(ルーツ)を、質問されて、
知らない、
わからない
というのは、「完全に、嘘」となり
「間違い」なわけであります。
日本のパンのオリジナルや、ルーツは
フランス、イタリア、デンマーク、イギリス、ドイツ、
そのほかヨーロッパなど、であるのは、
世界周知の常識です。
例えば、ラーメンなら、
元祖は、中央アジア周辺で
それが、中国帝国周辺に伝来し、
中国帝国の国中で、それぞれの形で改良・発展し
後に、
それが、江戸後期に、日本に伝わり
改良、改善
地消地産方式で、一つの形になり
「東京ラーメン(的スタイル)」に、広まり、
それが、日本のラーメン原型となり
それ以降、日本全国に広まり
北海道や
九州の各地域をはじめとして、
日本全国的に、お国自慢的に
さらに特徴ある改良・改善があり
発展して、
「現代日本のラーメン」になり、
1990年ころより
現在の「グルメ的・高級的発展」になり
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というような解説と同様に、
「日本の、お総菜パン」も、
解説、理由付けが
することができます。
3) ただただ、西洋料理のパンの一種
というくくり付の中で
わたくし個人が、
どのパンが好きですか
と言われたら、
「ライスの専門家----日本(国民)人」が
選ぶのは、
まぎれもなく、
炊き込みご飯や、
チャーハンや
ピラフや
外米などでもなく
新米で、おいしいお米で、
おいしい処置で下準備して
最高のお釜
(まきであろうと、電気でも、ガスでも、
しかも容器の材料が何であれーーー)
で、炊き上げた
出来立て、
ふかふかの「白米」を
多くの日本人が選択するのと同様に
私は、おいしいお総菜パンや、
日本の食パンでなく、
山崎のバターロールでもなく
「フランスの最高のバゲット」を選択します
それに関して、
日本人は、
「おいしい白米のごはん」を熟知しておりますが
おいしい伝統的で、最高級のパンは、
「まだ、知っているというレヴェルでは、ありません」
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ここで、何を言いたいか????
と、言いますと、
日本人が、しょっちゅう、長年、
陥りやすい間違いですが、
「日本のお総菜パン」や、食パンが
例えば、「世界一になった」と
仮定して話しますと、
日本式お総菜パンや、食パンなどが、
最高になったからといって、
基本中の基本の「フランス式バゲット」や
西欧やロシアのパンを、
極めた
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と、日本人が思うのは、
「99%、間違い」
といえるということです。
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日本式「おいしい白米のごはん」の良さ
がわからない人が、
「ライス」について、論じるようなものです。
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話は、完全に、ずれますが、
今、思ったのですが、
世界選手権とか、
オリンピックとか
そういう世界レヴェルでのコンテスト、競争などがなく
あるいは、絶対に参加しないし、
気にもかけない
というならともかくも、
たとえば、例を挙げるなら、
野球なら、
プロ野球なら
元祖の、アメリカの
ボール
野球場(特に、距離です)
を、完全コピーというか
同じルールでやるべきです。
WBCになって初めて
日本で使っているボールと違うから
なんていうこと自体が
わたくしは、「完全に、間違っている」
と、思います。
逆に言いますと、
日本古来の伝統的な「柔道」などが
欧米で、色々改良されたルールになっていったことは
「色のついた柔道着」以外は
納得できません。
柔道は、
まず、スポーツではなく「道」であるということ
次に、「レスリングや、レスリング的な攻撃方法」
など、絶対に、許すべきではありませんし、
そうなったら、
200年後には、
格闘技が、すべて、似てきてしまいます。
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パン屋は日本的ではないのか――。文部科学省が、教科書検定で小学校1年生の道徳教科書の「パン屋」に関する記述を、「『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ』という点が足りない」と指摘し、出版元の東京書籍が「和菓子屋」に修正した問題が、波紋を呼んでいる。情報が出た3月24日からSNSで話題となり、新聞、週刊誌でもパンの業界団体の抗議の声を掲載するなど、批判記事を展開している。
政府は、4月7日の閣議で「パン屋に関する記述を特定して検定意見を付した事実はない」と否定したものの、文科省の指摘は第2次世界大戦の思想統制を連想させるという意味で見過ごせない。
しかし、本当に和菓子はパンより伝統的で、日本文化に根付いているものなのか。日本の食文化の歴史を調べると、伝統文化と思われているものの歴史が案外浅く、意外なものが古くからあることがある。たとえば、いかにも伝統文化らしい練りようかんが生まれたのは、江戸時代も末期になってから。急須で煎茶を入れる習慣が一般化したのは、1970年代と新しい。一方、中華料理のイメージが強いニラは『古事記』や『万葉集』にも出てくるし、コショウは江戸時代にご飯にかけられていた。
■パンは「和食」ではないが「日本食」といえる
パンについてはどうだろうか。生まれたのは中東地域で、古キリスト教と結びついてヨーロッパで発展した。日本人が食べるようになったのは明治以降だ。歴史は浅いが、学校給食で取り入れられ、朝食で主食にする人もいれば、おやつや昼食にする人も多い、という意味では生活にかなり根付いている。そしてパン屋は、東京書籍が教科書に採用しようとしたぐらい、身近な存在になっている。
グルメ大国になった日本では今、さまざまな種類のパンを食べることができる。カリカリのかたい皮のフランスパンは、日本在住の西洋人も喜ぶ本格派。ライ麦やスパイスを使った特徴のあるドイツパン専門店もある。しかし、全国的に人気が高いパンは、柔らかい皮のコッペパンやあんパン、カレーパンなどの菓子パンや、総菜パンである。それらのパンを私は「日本食」であると考えている。「日本パン」あるいは「和パン」、と呼んでもよいのではないだろうか。
「日本食」にはっきりした定義はない。だが、仮に外国人から見れば日本の食べものだが、日本人が「和食」と呼ぶには抵抗がある日本生まれのもの、とすると、菓子パンや総菜パンは立派な日本食といえるだろう
1つの文化が入ってきて現地化し、定着するには時間を要する。とんかつは明治期に生まれた頃は洋食店で出されていたが、いまやとんかつ店でご飯やみそ汁と共に出されるので、和食になったといえるだろう。ラーメンやカレーは、2013年に和食がユネスコの無形文化遺産に登録された際、「和食に入るのか」と疑問を出されたほどなので、まだ日本食だ。
菓子パン、総菜パンなどの「日本パン」は現在、「日本食」に入ると考えられる。なにしろ「日本パン」の多くは、西洋人にとっては異文化そのものだからだ。以前、日本在住の西洋人たちに取材をしたことがあるが、彼らはあんパンを「砂糖で味付けした豆をパンに入れている」と驚き、カレーパンを「菓子パンだと思ったら辛いのでびっくりした」と話していた。
■西洋人の常識を覆すパンの数々
また、『「食」の図書館 サンドイッチの歴史』(原書房)では、著者のビー・ウィルソンが「日本の『パン屋』では、スパゲッティからカレーまで具にした常識を覆すような種類のサンドイッチを出している」と書いている。その文章の続きに、翻訳の月谷真紀が注釈で、「著者は菓子パンや総菜パンをサンドイッチの1種としてとらえている」と付け加えている。
そもそも、これらの「日本パン」は日本人に食べさせるために、日本人が考案したものである。発祥は外国だが日本人が食べやすいよう手が加えられ、定番化したという意味で、とんかつやカレー、ラーメンと同じなのだ。
あんパンは銀座木村屋の2代目、木村英三郎がまんじゅうをヒントに考案したもの。1875(明治8)年4月、明治天皇に献上したことで人気が出て、やがて定着した。木村があんパンを発明できたのは、明治維新で父の安兵衛が武士の職を失い、銀座で開業したものの、パンがなかなか売れず後がなかったからである。日本人にとってパンは、どうやって食べたらいいかもわからない未知の食べものだった。そして銀座はまだ寂しい場所で、西洋人が来るような町でもなかったのだ。パンに具材をくるむという新しい発想は、その後の「日本パン」隆盛へとつながっていく。
後を追って生まれたのが、ジャムパンとクリームパンだ。クリームパンは、新宿中村屋の創業者、相馬愛蔵が1904(明治37)年に考案した。当時はやっていたシュークリームをヒントに、栄養価の高いパンを作ろうとしたのである。1900(明治33)年にはジャムパンが誕生した。銀座木村屋の3代目、儀四郎が、製菓工場でジャムを挟んだクッキーを見て発案した。
2つの菓子パン誕生には、明治後期になり、西洋菓子が広まってきていたことが背景にある。実は西洋菓子も明治初期は、バターの香りが「臭い」と嫌われていた。庶民の嗜好が変わり、あんこ以外の要素も受け入れられるようになっていたのだ。
■「日本人が喜ぶパン」を追求した
最初の総菜パン、カレーパンが生まれたのは1927(昭和2)年。1923(大正12)年の関東大震災で店を失った深川の「名花堂」の2代目、中田豊治が再起をかけて発想した。ちょうどその頃、西洋料理をご飯に合うようアレンジした洋食がはやっていた。3大洋食といわれたのが、カレー、とんかつ、コロッケである。中田は労働者の多い深川で喜ばれるだろうと、パンでカレーをくるみ、とんかつを模して揚げたのである。当時、「洋食パン」の名で売ったカレーパンは、狙いどおりの大ヒット。名花堂は第2次世界大戦もくぐり抜け、現在はカトレアと名前を変え、江東区森下で営業中である。
今、パン屋に並ぶさまざまな種類の「日本パン」の発想の原点は、あんこをパンでくるむというあんパンにある。最初の菓子パン、あんパンも、最初の総菜パン、カレーパンも、経済的な苦境に陥ったパン屋が「どうやったら日本人に喜ばれるパンができるか」と考え抜いて生み出したものである。
そして、明治初期に生まれたあんパン、明治後期のクリームパン、昭和初期のカレーパンはそれぞれ、いかに日本人が西洋的な味を自分たちの文化として変容させていったかを伝える証人ともいえる。菓子パン、総菜パンという「日本パン」は日本固有の文化だ。そして、多様なものをカスタマイズさせて自分たちの文化に取り込む発想力にこそ、日本の食文化の真骨頂がある。
