日本のクラシック音楽界で、
「世界でーーーー」
と、世界の数本指(5本指)
あるいは、世界一だろう(??)
世界トップ・クラス
という人々は、
たくさん
というわけにはいきませんが、
何と言いましても、
今現在のみならず、
歴史上
といってもいいくらいの
ダントツ世界一は、
ヴァイオリン界では
”MIDORI"(ミドリ)(後藤みどり)
さんです。
ピアノでは、但し書きが付きますが、
モーッワルトをひかせたら、天下一品の
内田光子(レイディー)さん
のお二人ですが
何と言いましても、
女性のヴァイオリン界の層が、
素晴らしく厚いです。
(ミドリさんは、別格中の、別格ですので、)
何と言いましても、
この記事の「Sayaka Shoji」
庄司紗矢香さんです。
何と言いましても、
「世界一の超・繊細さ」です。
もう、すばらしいとしか、言いようがありません。
「それじゃあ、蚊の鳴くような、
後ろの席では聴こえないような
弱弱しい、超・小さな音」
なのか(?)
といいますと、
そうではないところが、すごいのです。
細い中にも、しっかりと『芯』が通った、
しっかりと、後ろの席でも聞こえる
「生きた繊細でありながら、
表現・表情たっぷりな音」なのです。
楽器は違いますが、
繊細、といいますと
モーツアルト弾きの内田さんの
音のように聞こえますが、
それとも全然、違います。
楽器は違いますが、
「音はしっかりしています」
ポピュラー音楽や
ジャズなど、
そのほかのおんがくは、絶対にひかないで、
クラシック一本で
こびないで
自分の道を、まっしぐらに
強くいってほしいです。
そうすれば、
ヴァイオリン界の両横綱が
日本人、
ということに、
7~8年後になるかもしれません。
今は、ミドリさんが、
世界でただ一人の
エンペラーのごとく
孤高の
ピラミッドの頂点
に、しっかりと、腰を据えております。
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庄司紗矢香さんインタビュー/「言葉では言い表せない感情の一番繊細な部分を、音楽は伝えられる」
名実ともに日本を代表するヴァイオリニストである庄司紗矢香さん。
彼女の演奏に一度でも接した方ならご存知だろう。その小さな身体からは想像もつかない圧倒的な音量。そして表情豊かで説得力のある、常に音楽の本質に迫ろうとする迫真の演奏の素晴らしさを。
普段はパリを拠点として世界中を演奏旅行で駆け巡る庄司さんが日本に滞在することは多くない。
そんな中、3月に決まったNDR エルプフィルハーモニー管弦楽団(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)との共演に向けての取材としてお話をうかがう機会を得た。
目の前に現れた庄司さんは、小さく儚げな印象で、控えめな微笑みを湛えながらちょこんと座っていた。あの大きな音楽を紡ぎ出すその人と、目の前の庄司さんは同じ人とは思えないギャップがある。
(写真=プレミアムジャパン)
「音楽家はみんな食べることが好きだと思いますよ、基本的に(笑)」
――今は年にどれくらいコンサートをやられているんですか?
庄司:一昨年(2015年)までは年に50回までに制限していました。でも、昨年は少し多くなってしまいました。また、今年から元に戻そうと。
――50回と言っても週1ペースでコンサートがあるわけですよね。それは大変。
庄司:はい。大変です(笑)。
――それ以外の日々というのは、そのためのレッスンとか?
庄司:準備の期間と、あとは時差調整とか。
――移動が大変ですよね。まさに世界中が舞台ですから。
庄司:そうですね。
――パリのご自宅で過ごせる時間も少ないのでは?
庄司:この1年はほとんどいられなかったです。
――大体ホテル住まいみたいな感じで?
庄司:そうですね。転々としています(笑)。
――そういう生活を20年近く。
庄司:考えると恐ろしいですね(笑)。
――ちなみにレッスンというのは、1日にどれくらいの時間、ヴァイオリンを触ってらっしゃるんですか?
庄司:本当に日によりますが、大体、平均して3~4時間ぐらいだと思いますね。新しい曲を勉強する時には集中して1日中弾いてることもありますし。それはもう可能な限りという感じになりますね。
――ヴァイオリニストの方ってずっとステージの上で立ちっぱなしだし、それが週1ペースとなると、かなり体力的にもキツい仕事ですよね。
庄司:そうですね。大変だと思いますね。
――それをずっと続けていくために、健康面で留意されていることなどは?
庄司:やはり食べるものには気を付けるようにしています。とりあえずどこにいても食べることというのが基本だと思っているので。
――食べることはお好き?
庄司:はい、好きですね。音楽家はみんな食べることが好きだと思いますよ、基本的に(笑)。私も大好きです。
――特に何が好きとか?
庄司:おいしいものは何でも好きですね。
――日本食がいいとかではなく?
庄司:そうですね。場所によっては本当にあんまりチョイスがない時もあるので。とりあえず出てくるものは何でも食べる、みたいな(笑)。
でも、段々やはり、日本人としてのDNAがあるので、ごはんが大切だったり、定期的に味噌汁を摂ることが大切だったりとか、栄養のことを考えるようになりました。
――そのスタイルを維持するためにはダイエットとかも?
庄司:何も気をつけてないです(笑)。
――じゃ、体質的なもの? それはうやましい。
庄司:今までのところは。これからどうなるかわからないですけど(笑)。
(写真=プレミアムジャパン)
「音楽家としてではなく、ひとりの人間として生きたい」
――ところで、以前あるインタビューで、庄司さんが音楽家として普段心がけていることはという質問に対して
「普通に生きること。音楽家としてではなくて、ひとりの人間として生きたいと思ってます」ってお答えになっていて。
その「ひとりの人間として」という言葉がすごく印象的だったんですが…。
庄司:ん~。多分…その、言いたかったのは、作曲家もひとりの人間だったわけで。ベートーヴェンにしろバッハにしろ。いろんな問題を抱えながら、生きてきて、素晴らしい音楽を書いたわけじゃないですか。
演奏する側も、そういう色々なことを乗り越えたりとか、すべてのことが、経験としてあって、書かれた音楽の理解度が深まるんじゃないかなという気持ちもありますし。
あとはひとつやっぱり、先程の健康ということですが。健康って心から来るものが大きいと思うんです。そういう意味では、心の内側でのバランスを保つことが一番大切かなと思って。健全でいるっていうことが。
――なるほど。心のバランスの良さが、いい音楽のためには必要だと?
庄司:はい、そうですね。演奏していくというのは、解釈をするということと、実際に演奏活動をしていくという2つの面があって。解釈というところでは自分の経験のすべてがいい意味で肥やしになると思うんです。ほんとに、まぁ色々な良い経験も悪い経験もすべてが(笑)。
でも、やはり演奏をするということは、旅をしてステージに立って、そこで自分のベストを尽くすということで。それは、ある意味ちょっとアスレティックなスポーツ選手みたいな、その場ですべてを出さなければいけないということでもあります。
そういう意味で考えると、やはり心の健全というのが健康を支えていて、健康であることが大切だと。健康であればこそ、私は演奏にすべてを出せるっていう、それが基本かなと思っています。
――庄司さんは音楽以外のことでも、時間があれば美術展を巡ったり、油絵をお描きになるとか、あるいは読書や料理作りなどいろんなことをされているそうですが、そのあたりもやはり意図的に色んな経験をしていくことが音楽のために役に立っていくということなのですか?
庄司:う~ん…そこはどちらかというと、特に音楽のためにというよりは、自分の興味で。自分が生きていくうえで必要としている、栄養みたいな感じだと思っているので。
――音楽家じゃなくてひとりの人間として必要なことだと。
庄司:そう思います。
(写真=プレミアムジャパン)
「言葉では言い表せない繊細な部分を感じるために演奏会がある」
――庄司さんはよく「想像力が大事だ」とおっしゃっています。「想像力によって音楽家の仕事は単なる楽譜の再現よりもひとつ進んだものになる」ということも。想像力=イマジネーションを働かせるというのは具体的にはどういうことなんでしょう?
庄司:そうですね。多分、人って何かメロディを聞いた時に思い起こす感情ってあると思うんです。その感情はいわゆる心の動きだけじゃなくて、それに伴う映像が絶対にどの人にも思い浮かんでるはずだと思っていて。
私の勝手な想像かもしれないんですけど(笑)。そこにやっぱり音楽の魔法があると思っています。だから例えば何か、香りを嗅いだ時にふっと思い浮かべる風景とか、人の顔とか、そういうことが大切かなぁと思います。
――割とそれは具体的なイメージ?
庄司:まぁ、私の場合はそうですね。
――庄司さんの場合、音楽を絵画的なイメージで捉えているところがあるのでしょうか?
庄司:というか、私の中ではひとつの核となる感情があって、それが音として表現されているか、視覚として表現されているか、言葉として表現されているかという違いで、言葉は音楽とイコールなんですけど、大きく分けてそういう感じになっているんですね。でも、元を辿れば同じものだと思うので、表現方法よりは根本的な核にある感情、感じてることが大切なんじゃないかと思っています。
――以前、文章で「10代後半には演奏するとき私が見る映像を実際に目に見えるものにしたいという漠然とした夢が私の中で出来上がっていた」ということをお書きになっています。これもその核の部分の感情を音であったり映像であったり、あるいは言葉であったり、いろんな表現方法で表したいということ?
庄司:はい。音楽とか絵画とか映像とかそういうものは、多分すべて「感じる」ことから始まるものですよね。それがどんな感じかっていうのは、必ずしも「感情」という言葉だけでは表せないかもしれない。センスというのか、変な感じとか、何かよくある「言い表せない感じ」っていうものが核となって、結果として、絵だったり、音楽だったりという、抽象的なものとして出てくるのだと思うんです。
その、多分言葉では言い表せない部分、一番繊細なところ、それを、耳で聴いたりして感じるために、私たちは演奏会に行くんだと思うんです。演奏会とか美術館とか、そういう場所に行くのは、みな、そういうことかと思います。
(写真=プレミアムジャパン)
「無心の状態で体全体が耳になるような体験ができて」
――ところで庄司さんは、日本で過ごされたのって、おそらく生まれたばかりの時と、あとは小学校、中学校の時ぐらいですよね。人生のほとんどが海外暮らしですが、それでも先ほど日本人のDNAという言葉が出ました。どういう時に、自分が日本人であるということを自覚するのでしょう?
庄司:そうですね。本当に、衝撃的に自覚したのは2年くらい前で、それはジョン・ケージの曲を知ったときでした。作曲家の細川俊夫さんがオーガナイズドした演奏会で、日本の笙という楽器とヴァイオリンのための曲で、30分間、すべてが全音符で書かれている曲を演奏したんです。
タイマーを使って、長~い弱音でずっと弾いていって、何秒から何秒までの間にその音を始めて、何分何秒までに終えるっていう。その間は自由なんですけど、だからその時々で毎回違う長さになる。
で、相手の笙も同じようになるので、どこで始めてどこで終わるかはお互いわからない。ということは、毎回その和音、音がぶつかる瞬間っていうのが全然違う。それが、最初は訳がわからないと思っていたんですけど、実際に演奏していくと、ある瞬間、あ、これこそが禅の精神なんだなっていうのが体感できたんです。
――禅の精神、ですか。
庄司:はい。普通に書かれた曲を演奏していく時っていうのは次のフレーズだったり、たくさんのことを考えながら、弾いたり勉強したりしますよね。でも、その曲はもう全編、練習のしようもない。考えることもないんですよ、何も。
つまり本当に無心で長い音をず~っと弾いてるだけ。そうすると、こう、最初は色んな考えがわ~っと出てきて。あぁ、これは何分何秒にしようとか、色々考えるわけなんですが。そうしていくうちに段々、その考えがなくなっていって、もはや無心の状態で、体全体が耳になるみたいな、そういう体感ができて。そこでやっぱり、あぁ、これが禅の精神であって、そして同時に、音楽をする根本的な精神だなって。
――音楽を通じて無の境地に達することができたと。
庄司:普通、楽曲を勉強する時、すごくいろんなことをアナライズしたり勉強したり、考えたりして、煮詰めていくんですけど、実際のその演奏になった時には、本当に感覚的なことがとっても大切で。それがやっぱり一期一会の演奏、まぁライブっていうのは一期一会のものなので、1回限りのものが生まれる。そこにすべての精神を注ぎ込むっていうことが大切なんだなと。そこでやっぱり、あ~日本人でよかったなぁって思いました(笑)。
――それ以降は普通の西洋の音楽をやっても意識がちょっと変わってきたり?
庄司:はい。私の中で日本人であることと、西洋音楽を演奏するっていうことに、矛盾がまったくなかったっていうことに気づいたので、それはすごくプラスでした。
「プロコフィエフの協奏曲第1番は視覚的な刺激の大きい曲」
――最後に今回のツアーのこともお伺いしますね。曲はプロコフィエフの協奏曲第1番で、この曲はずっと弾いてこられたと思うんですが、庄司さんにとってどういう思いがある曲なのでしょう?
庄司:先程も映像の話をしたんですけど、この曲は特に視覚的な刺激が大きい曲だと思います。というのは、これはプロコフィエフの若い頃の作品ですけれど、彼自身ヴァイオリンもそうだしオーケストラも、色々な色彩感を音色で表そうとした、そこにすごく挑んだ作品なので。本当に冷たい音から温かい音まで幅広い色彩感に溢れていて、とても演奏に繊細さを求められる曲でもあります。
――かなりお好きな曲ということで?
庄司:そうですね。
――録音ではテミルカーノフさんとサンクトペテルブルク響という、本国同士の組み合わせですが、今回はドイツのオーケストラと、ポーランド出身のウルバンスキさんが指揮者です。その違いは?
庄司:テミルカーノフさんとは、この曲は2004年あたりからずっと毎年色んなところで弾いてきているので。そういう意味では私にとって一番影響を受けた共演者で、本国っていうこと以上に意義深いんですけど。
もちろん共演者が変われば、初めから練り返す感じになるので。ウルバンスキさんという新しいパートナーと新たなアプローチができるかなと。
――ウルバンスキさんは庄司さんと同じ年の生まれですよね? 学年は庄司さんが1年上ですけど。
庄司:さっき知りました(笑)。最近、指揮者は私と同年代か、私より若い指揮者が多くなってきているんですよね。
――若い世代で作るフレッシュなプロコフィエフに期待しています。本日はありがとうございました。
音楽は耳で聴くものだという当たり前のことでさえ、庄司さんの話を聞いていると自分の偏狭な思い込みのように感じられてくる。彼女が楽譜から紡ぎ出し、命を与えて我々に伝えてくれる音楽には、耳はおろか全身のあらゆるセンサーを駆使しても受け止めきれないエネルギーが溢れている。だからこそ我々は言葉に出来ない感動を得ることが可能なのだろう。非常に映像的な作品であると言ったプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。どんな演奏が体感できるのか大いに期待したい。
■東芝グランドコンサート 2017
【出演】
管弦楽: NDR エルプフィルハーモニー管弦楽団(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)
指揮: クシシュトフ・ウルバンスキ
ソリスト: 庄司紗矢香(ヴァイオリン)
【日程・会場】
2017年3月7日(火) 開演 19:00 東京/Bunkamura オーチャードホール 主催:フジテレビジョン/3月8日(水) 開演 19:00 仙台/イズミティ 21 主催:仙台放送、公益財団法人 宮城県文化振興財団 3月11日(土) 開演 17:30 名古屋/愛知県芸術劇場コンサートホール 主催:東海テレビ放送
【演奏曲目】
グリンカ:歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲
/プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調Op.19 <ヴァイオリン:庄司紗矢香>
/ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」
<プロフィール>
庄司紗矢香(しょうじ・さやか)
1983年東京都生まれ。5歳からヴァイオリンを始める。1999年、第46回パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールにコンクール史上最年少、かつ日本人として初優勝。ケルン音楽大学卒業後、パリを拠点として世界中の一流指揮者・オーケストラと共演を重ね、音楽祭への出演も多い。今回の演奏曲目となるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番を始め、チャイコフスキーやメンデルスゾーン、パガニーニのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタなど録音も多数。使用楽器は、上野製薬株式会社より貸与された1729年製ストラディヴァリウス『レカミエ(Recamier)』。