しかし視点を変えれば、先のクラブワールドカップでは、アトレティコ・ナシオナルなどは再三のチャンスを決め切れずに敗れたし、逆に鹿島アントラーズはボール支配率では劣りながらも、レアル・マドリーを相手に堂々と渡り合った。むしろ鹿島は大会随一の決定力を示し、その中で金崎夢生らのFWが見劣りすることはなかった。
また欧州でプレーする選手を見渡しても、現状でFWの岡崎慎司、大迫勇也、武藤嘉紀などの活躍ぶりが、2列目の香川真司、清武弘嗣、原口元気らに著しく劣るわけではない。
確かに高くて強くて速くて上手いスーパーなストライカーは不在だが、それは世界中を見渡しても圧倒的な希少価値を持っている。もともと日本人の身体的特性から大型選手を発掘するのは難しいわけで、当然サイズに適したポジションから優れた選手が現われ易いが、決してストライカーだけが極端に手薄ということでもない。
一方で、「なかなかシュートを打たずに、ボール回しに固執する」風潮から、ストライカーが生まれにくい土壌を指摘する声もある。
実際にジュニアの現場を見ると、それを否定できない部分もある。ミニゲームをしていても、崩し切らずにシュートを打つ子が異端視されがちだ。パスで崩そうという共同作業の中で、唐突にシュートを狙うことが、まるで“破壊行為”のように白眼視されてしまうことが少なくない。“空気を読む”予定調和で支配された日本社会では、大胆な個性が嫌われてしまうこともある。
ミドルシュートを狙わない、縦に入れずにサイドや後ろへと無難な選択をする。こうした傾向も、外国の指導者は理解に苦しむ。日本代表でアルベルト・ザッケローニやヴァイッド・ハリルホジッチらが縦パスを強調したのも、崩しに入るまでの無駄が多過ぎると感じたからだろう。
ACミラン・サッカースクール千葉のイタリア人指導者、ルカ・モネーゼ氏からも同様の話を聞いた。
「日本の子供たちは小学校に入ると途端にチャレンジをしなくなる。コーチに言われたようにプレーしないと怒られるのだろうが、その結果、Jリーグの試合でも展開に意外性がなく、退屈になる」
浦和レッズのミハイロ・ペトロビッチ監督は、「日本は結果至上主義に偏り過ぎている」と指摘するが、総じて日本全体の流れは、テクニックを重用して組み立ての美しさを好む“プロセス優先型”に傾いている。
よく日本人にはエゴ(自己主張)が足りないと言われる。長く韓国代表FWとして活躍し、セレッソ大阪や柏レイソルでもプレーしたファン・ソンホン氏は、「日本の子供たちがミッドフィルダーばかりに憧れるのが不思議で仕方ない」という。
「韓国ではストライカーが断然人気があります。自分で試合を決められますからね」
ただしストライカーにとって、エゴは絶対条件ではない。それは先日、トーマス・シャーフ氏(ブレーメンなどを率いたドイツ人指導者)の話を聞いて腑に落ちた。
「エゴとストライカーの適性を関連付けて考えようとするのは分かる。しかし、エゴイスティックなのと、しっかりとゴールへ繋がる道筋を選択することは違う。肝心なのはバランスだ。エゴイスティックにプレーしても決められないことがあるし、それでもっと良いポジションにいる選手を探せずに、チームにとって大きなマイナスをもたらすこともある。結局、ストライカーにとって最も大切なのは、正しいタイミングで正しい選択をすることなんだ」
さらに、日本代表の左SBとして長く活躍した都並敏史氏もこう語る。
「要するに、シュートを決めるかどうかもテクニックとして考える必要があると思いますよ。メンタルじゃない」
正しいタイミングで正しい判断を下し、的確な技術を発揮する。つまりそれが、ストライカーの成すべき仕事なのだろう。仕掛ける、そしてシュートを決めるための確かなテクニックがあれば、自信も生まれ、決断力に優れた突破も、冷徹な判断もできる。
実際、日本にも、良いサンプルは育ちつつある。例えば、久保建英(FC東京U-18/15歳)はテクニック、スピード、判断という確固たる土台があるから、年上のカテゴリーの試合に出てもゴールを決める。女子でも植木理子(日テレ・メニーナ/17歳)や田中美南(日テレ・ベレーザ/22歳)らは、身体能力とテクニックをバランス良く備え、大胆な打開策を示している。
ストライカーには、独特の感性や資質、メンタリティーなども必要なのかもしれない。だがその土台を成すのは、技術と判断というフットボーラーとして当たり前の命題なのだ。
文:加部 究(スポーツライター)
