「アートポリスは無駄ではなかった」、伊東氏語る

熊本県の全仮設住宅団地に「みんなの家」を建設






熊本県は応急仮設住宅約2000戸の建設に当たり、くまもとアートポリスコミッショナーである建築家・伊東豊雄氏やアドバイザーの桂英昭氏(熊本大学准教授)らの助言を受けながら、配置計画などを検討している。住戸約50戸に対して1棟の割合で木造の「みんなの家」を建てる計画だ。「みんなの家」とは、被災者にやすらぎを感じてもらう空間として、仮設住宅団地内に整備する集会所もしくは談話室だ。東日本大震災の際、伊東氏らが自治体や企業の支援を募って被災地に集会所を建設し、これを「みんなの家」と名付けた。

 今回、熊本県全体では約40棟の「みんなの家」が建つことになる。まずは、伊東氏に経緯を聞いた(インタビューは5月10日)。

━━そもそも東日本大震災(2011年3月11日)の際に、熊本県が仙台市内に「みんなの家」をつくることになったのはどういうきっかけだったのでしょうか。

 2011年5月だったと思いますが、熊本県のアートポリスの会議で、今で言う「みんなの家」をつくりたいという話をしたところ、それが蒲島(郁夫)知事に伝わり、それはいいことだからやろうということで建設費を出してくださった。木材も提供してくれました。



このときの「宮城野みんなの家」が「みんなの家」の第1号なのですか。

 そうです。出来上がったときに、皆さん大変喜んでくださって、僕自身も感慨深かった。今でもここに行くと、仮設住宅から出て行った方も集まってくださって、大宴会です(笑)。

━━2012年には熊本県内でも「みんなの家」をつくっていますね。

 2012年に阿蘇で土砂災害(熊本広域大水害)があり、そのときに熊本県が仮設住宅団地内に2棟の「みんなの家」をつくった。これは知事の発案でした。

 その仮設住宅は既に必要がなくなったので、阿蘇の「みんなの家」は最近、別の場所に移されて、公民館として使われています。




そういう下地があったので、今回、県が仮設住宅をつくるに当たって、木造の「みんなの家」をつくろうということになりました。それをアートポリス班がリーダーシップを取って進めなさい、加えて、仮設住宅自体にもできるだけ木造を採用したい、と知事から発案があったそうです。

 「みんなの家」は集会所か談話室という扱いで、集会場は60m2、談話室は40m2というおよその規模を想定しています。

━━先行している仮設住宅団地だけではなくて、すべての団地で「みんなの家」をつくるのですね。

 そうです。全体が約2000戸に対して、約40棟の「みんなの家」ができるはずです。

━━仮設住宅の配置計画にも関わるそうですね。

 できるだけ住棟の間隔を広げます。それと、今までは6戸がくっついて1列に並んでいるのが普通だったけれど、ここでは3戸ずつで隙間を空けます。その間に縦通路を設けて憩える空間にする。ほとんど全ての仮設でそういう配置になりそうです。





県の提案にびっくりした


━━今回の話は伊東さんから県に投げ掛けたというよりも、県から提案があったわけですか。

 そうですね。アートポリス班からは地震(前震)の翌日に既にメールがありました。そのときは具体的には「みんなの家」をつくるという話ではありませんでしたが。

 ただ、その後、アドバイザーの桂英昭さん(熊本大学准教授)たちとは密に連絡を取り合っていて、次の週にはそういう方向性に動いていたと思います。

 僕は地震直後には海外にいたのですが、日本に戻ってきて、4月27日に熊本に行き、知事にお会いしました。その場で配置のスケッチを描いて、その日に大体の話がまとまりました。





県の職員から「みんなの家」をつくりたいと聞いたときには、どう思いましたか。

 それはもう、うれしかったですよ。それも、40棟もつくると聞いてびっくりしました。

 知事は以前から「創造的な復興」ということを言っておられましたから、仮設住宅もいい環境をつくりたいという考えがはっきりしていた。アートポリスを長くやってきたことは無駄ではなかった、その成果は大きかったと思いました。

 今後はその先、復興の公営住宅をどう考えていくかですね。今回は(東日本大震災のときとは異なり)かさ上げする必要はないわけですから、1年もすれば復興の公営住宅が建ち始めるでしょう。そのときに、従来のものよりもう少し憩えるような公営住宅にしていきたいですね。

━━東日本大震災の際にも伊東さんは被災した自治体に復興公営住宅の提案をされていましたが、実現はしていないのですか。

 そうですね。ほかと違うものはまかりならんという対応が多かったのです。ただ、釜石市はかなり頑張ってくれました。釜石では若い人を対象としたコンペティションもやったりしたのですが、建設費の高騰があってそれらの案も実現に至りませんでした。

━━アートポリスが関われば、復興公営住宅も変わるかもしれないと。

 県が主導できればかなり変わっていくと思います。国の助成が必要ですから、簡単ではないかもしれませんが





「家族」のような信頼関係が前提


 伊東氏へのインタビューの後、熊本県の担当者やアドバイザーの桂英昭氏にも話を聞いた(取材は5月17日)。

 応急仮設住宅の建設の中心となるのは、熊本県土木部建築住宅局だ。田邊肇局長はこう語る。「県では2012年の熊本広域水害のときにもみんなの家を2棟つくった。それがあったので、今回は4月27日に伊東さんが県庁に来られたときに、すぐに方向性がまとまった。もう長い間、家族のように付き合ってきたので、どちらから言い出したということもなく、やろうということになった。28年間アートポリスを続けてきたことの大きさを改めて感じた」

 このときに同席したアドバイザーの桂氏は、「県の職員と我々はお互いの考えをよく知っているし、これまでひどい喧嘩(けんか)もよくしてきた。けれども、お互いの進む道は理解し合えるようになってきたということ」と笑う。

 伊東氏が県を訪問する前に、建築住宅局では既に「みんなの家」建設の費用やスケジュールなどを検討していた。建設費は1棟平均1000万円程度。従来のプレハブの集会場と同様に、国の補助の対象となるよう関係部署に交渉して道筋を付けた。

 県への取材時点(5月17日)で計画が具体化していた「みんなの家」は30棟。うち26棟は仙台や阿蘇の「みんなの家」の経験を生かして、規格化したいくつかのプランの中から選んでつくる。残る4棟は大規模な団地に複数の「みんなの家」を建てる場合の「2棟目以降」で、こちらは実際にその団地に住む住民の意見を聞いて設計をまとめるオリジナル型だ。前者の規格型のほうは、住宅の完成とほぼ同時期の完成を目指す。工期は1カ月ほどだ。早い団地では6月中に完成する見込みだ



桂氏は、「我々が強く意識しているのは予算と工期を守ること。木材はプレカットを使うのが前提。こだわるところはこだわるが、規格品の部材でないと間に合わないところは規格品を使う。今までのノウハウがあるからこそできることだ」と言う。

 田邊局長はこう話す。「みんなの家を木造でつくることは地元の首長にも喜ばれている。県産材を使ったり、地元の大工に仕事が生まれるからだ」





1戸当たりの敷地面積は1.5倍に


 今回の仮設住宅団地では、ゆったりとした住棟配置も特徴的だ。通常は住戸の奥行約6mに対して隣棟間隔約4mだが、隣棟間隔を5.5mに広げる。1戸当たりの敷地面積でいうと、従来は平均約100m2だったものが約150m2と、1.5倍になる。




加えて桂氏らの提案で、従来は6戸程度が一直線につながっていた住棟を3戸ずつに分けて、小さな道を通すことになった。

 「空いたスペースにはベンチなどを置いて憩えるようにする。簡単なことだが、それにより環境は大きく変わる。そういう提案ができたのも、もともと県のほうで敷地面積を約150m2に広げるということを考えてくれていたからだ」と桂氏は話す。

 田邊局長は、「1戸当たりのスペースが広がっても建設費はそれほど変わらない。舗装費が少し増えるくらい。ただ、敷地が必要になる。最初のころ、なかなか建設用地が見つからない首長さんからは、(1戸当たりのスペースを減らして)もっと多くの住宅をつくれないかと言われたこともあったが、県の考えを丁寧に説明すると理解してもらえた」と話す。




熊本市が建設する応急仮設住宅(県が熊本市に委任して建設)についても、こうした考え方は適用される見通しだ

<訂正>3ページ、本文冒頭の桂英昭氏の名前を誤って表記していたので訂正しました。(2016年6月1日16時30分)





宮沢 洋日経アーキテクチュア




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