“名もなき国”イギリスへ 音楽の都・ウィーンを去った理由

産経新聞 10月6日(火)17時5分配信

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なんと言いましても、モーツアルトをひかせたら、


彼女の右に出る人は、なかなか存在いたしません。


(ベートーベンは、ちょっと、おすすめいたしませんーーーー???ごめんなさい!)





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 【話の肖像画】ピアニスト・内田光子さん

 〈内田さんは、西洋クラシック音楽を日本にいながら学ぶことには限界がある、という。かつて偉大な作曲家らが生まれ育った街で、その息吹を肌で感じることが重要なようだ〉

 第二次世界大戦中、ドイツに住んでいたロシアの皇女が書いた日記に、感動的な話があります。戦火から逃れ、ドイツからオーストリアに移った彼女は、ウィーンでオペラハウスが爆撃されるのを目撃しました。そのとき、彼女のそばに止まったタクシーの運転手が「われわれのオペラハウスが燃えている」と泣きながら叫んだというのです。これこそウィーン人がいかに深く音楽にコミットしているか、いかに音楽を自分たちのものと思っているかの証左です。

 音楽を身近に感じていることが分かる話は、いくらでもあります。たとえば、シューベルトのコンサートを聴きに来た人と話すと、「私の曽祖父の曽祖父はシューベルトとよくコーヒーを飲んだもんだよ。彼はお金がなくてね、もっぱらキプフェル(ウィーン風クロワッサン)を食べていたんだ」といった話が普通に出てきます。誰もが、まるで自分の経験のように「よく知っている」のです。そんなことはありえないとは思いましたが…。

 〈1972年、内田さんはウィーンを去り、英ロンドンへ移住する。愛してやまない音楽の都を離れたのはなぜなのか〉

 誰もが「何でも知っている」と思っていることはすてきなことですが、半面、問題も生じます。「モーツァルトの弾き方はこうだ」とある人が言えば、別の人は違ったことを言い、「私は知っている」と言うのです。名もない日本から来た私には、少し息苦しくなってきたのです。

 同じように、ドイツ人はベートーベンの弾き方を「よく知っている」と言い、フランス人も自国の作曲家の弾き方を「知っている」と言います。そういう国には行きたくありませんでした。それでロンドンを選んだのです。

 〈もともと内田さんはロンドンが好きだったが、クラシック音楽の世界において、イギリスが“名もなき国”だったことが大きかったという〉

 もちろん、すばらしい作曲家はいますよ。でも、ベートーベン、シューベルト、モーツァルトといった巨人はいません。ヘンデルはイギリスに帰化しましたが、ドイツ人は今でも「ヘンデルは自分たちのものだ」と言い張り、ヘンデルを諦めろと言っています。

 まあ、そんな具合ですが、イギリス人は自国の作曲家が作った音楽をこよなく愛していますし、何よりここでは「○○を知っている」「○○は自分たちのもの」ということがないのです。これがイギリスに来た真の理由です。

 もうひとつ。イギリスには「知的寛容さ」があります。ここでは自分の好きなように行動できます。外国人が多いので、じろじろと見られることもありませんしね。(聞き手 古野英明)
最終更新:10月6日(火)17時5分
産経新聞