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武藤 敏郎(むとう としろう、1943年(昭和18年)7月2日[1] - )は、日本大蔵官僚経済学者実業家株式会社大和総研理事長学校法人開成学園理事長、元東京大学先端科学技術研究センター客員教授

略歴[編集]

  • 1943年7月2日 - 埼玉県浦和市生まれ
  • 1962年3月 - 私立開成高等学校卒業
  • 1965年 - 国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格
  • 1965年 - 司法試験第二次試験合格
  • 1966年3月 - 東京大学法学部卒業
  • 1966年4月 - 大蔵省入省。大臣官房文書課配属
  • 1968年4月 - 大臣官房調査企画課
  • 1969年4月 - 関税局企画課係長
  • 1971年7月 - 彦根税務署長
  • 1972年7月 - 銀行局特別金融課課長補佐
  • 1973年7月 - 銀行局総務課課長補佐
  • 1974年7月 - 外務研修
  • 1975年5月 - 在米国日本国大使館二等書記官
  • 1976年4月 - 在米国日本国大使館一等書記官
  • 1978年7月 - 主計局主計官補佐(地方財務第一、第二、補助金担当主査)
  • 1980年7月 - 主計局主計官補佐(文部第一、第二、第三担当主査)
  • 1982年6月 - 石川県商工労働部長
  • 1982年12月 - 石川県総務部長
  • 1984年7月 - 主計局主計官(文部・科学、文化係)
  • 1986年6月 - 主計局主計官(建設、公共事業係)
  • 1988年6月 - 銀行局中小金融課長
  • 1990年6月 - 大臣官房秘書課長
  • 1992年6月 - 主計局次長(次席)
  • 1993年7月 - 主計局次長(首席)
  • 1995年5月 - 大臣官房総務審議官
  • 1997年7月 - 大臣官房長
  • 1998年5月 - 大臣官房総務審議官
  • 1999年7月 - 主計局長
  • 2000年6月 - 大蔵事務次官
  • 2001年1月 - 財務事務次官 / 大蔵事務次官から改称
  • 2003年1月 - 財務省顧問[1]
  • 2003年3月 - 日本銀行副総裁[1]
  • 2008年6月 - 東京大学先端科学技術研究センター客員教授[1]
  • 2008年7月 - 株式会社大和総研理事長[1]
  • 2009年4月 - 開成学園理事長・学園長[21]
  • 2009年6月 - 住友金属工業株式会社監査役[1]
  • 2010年6月 - 三井物産株式会社取締役[21]
  • 2012年10月 - 新日鐵住金株式会社監査役[22]
  • 2014年1月 - 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長[2]

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日本人は、世界に誇る民族で、ワールド・クラスです。

(しかも、大正時代以前の日本人は、本当に超・超・超優秀でした)

しかし、この世の中には、完全無欠なものや、人は、存在いたしません。

現代の日本人も、同様です。

そのうえで、コメントです。

50年以上前までは、日本人や、日本製品は、

ちゃちだとか、

真似がうまい。

ずるいことをする。

これらの3つは、正しい、正しくないにかかわらず、

我々、欧米生活している(していた)人たちは、

これらのイメージ、悪評に、

相当苦労したはずです。

しかし、今では、欧米では、60歳以上の人達と、

田舎の人たちを除いて、

これらの悪評が、駆逐され始めましたし、

一般論として、80%は、なくなりました。

逆に、22歳以下くらいの欧米の大都市では、

良いイメージのほうが、多いです。

もう一つ、一般論ですが、

1985年くらいまでの日本の繁栄は、

サラリーマンや、商社マン、官僚・役人、などに、多大に、よるものです。

ご苦労様でした。

尊敬いたします。

しかし、1985年くらいから、2012年くらいまでは、

彼らや、

彼らの役職、

業種・仕事・役目・役割が、裏目に出ておりました。

不効率、

流通の妨げと、物価高、

ガラス張りでない、

遅い、

など、

悪い面ばかりが、強調された感じでした。

2015年の時代には、逆に、良い面が、

必要な面が、再び出てきた感じです。

しかし、

強情にも、

頑固にも、

いやらしくも、

いまだに愕然と残っているのが、

悪い意味での、

官僚体質、

サラリーマン気質と組織、

日本人のシャイと、それによる隠すという性質、

これらが、あからさまに出ているのが、

オリンピック関連の人たちです。

一見、このパクリ・ディザイナーを理解しようとか、

援護しようとか、

に、見えますが、

そうじゃないのです。

事の本質は、

これが、「不正、不人気、パクリ、物まね、イメージ借用、そのほかの理由など』で、

キャンセルになると、困るのは、

選んだ自分たち(10人、30人、幹部たち―‐‐???)が、

それらの責任の一部、

責任の一端になるのが、怖いからです。

そこが、典型的な日本の

官僚・役人、

サラリーマン

の悪いところの性格・体質・特徴が、出てくるわけです、。

申し合わせなくても、

スクラム組まなくても、

一致団結で、

これを守ろう、

日本人特有の暗黙の了解、

「以心伝心」です。

すごいです。


『よ―――し、!!!』


そうなら、いかに、ごまかそうか、

如何に、パクリじゃないことを、丸め込ませようか、

如何に、信じててもらえるような 言い訳をしようか、

という動きが必然的に出てくるのです。

『怖いものです』

『悲しいものです』

『日本の、日本人の悪い・最悪の性格・体質です』

ですから、

パクリ問題が出てから、


これだけ長‐‐‐‐‐い、間、


ちゃらんぽらんに、

しかも、


何事もなかったように、音も風も立てずに、


いやらしく、

しかも、忘れ去らせようなんて、

感じで、

時間を、過ごさせていったわけです。

しかも、この人の最終説明・弁論でも、

他の彼(デザイナー)の作品については、わかりませんが、

エンブレムだけは、(限っては)パクリじゃありません、


と、締めくくっているわけです。

しかも、

あるデザイナーや、同業種の人たちの中には、

同情している人もいるなんて、

言い出している始末です。

しかも、日本のマスコミは、おかしいことに、

報道しなくちゃいけない最も重要な論点・主眼、

最優先の要点は、

『パクリか、パクリじゃないか???』


ということなのに、

話題を転換するかのように、

これまで実際に、

エンブレムの使用許可を保持している

協賛スポンサーさんたちが、

如何にも、かわいそうだ。


と、言わんばかりに、

印刷物、

ポスター、

旗、

バナー、

電光掲示、

ネオン・サイン、

広告、

ビジネス・カード(名刺)など、


そのほか、

の出費や、

すでに、注文して、工場などで、製品になろうとしていることに対しての、

無駄なコストを、心配しております。

私から言わせれば、

(無責任だからじゃありません―‐‐‐)

こんなものは、関係ありませんということです。

パクリかどうかを、決定することが、一番重要なわけです。

そして、

このパクリ問題が出る以前から、

私は、あちこちで、

最悪のデザインだ、


最悪のエンブレムだ、

最悪のロゴだ、

と、言い続けてきました。


それから、数週間後に、このパクリ問題です。


責任逃れ、


自己責任の分担の過小化


責任をごまかす、

これら、一点張りなわけです。

悲しい、日本人の、何人かが、いまだに持ち合わせている

日本固有の欠点です。


悲しいかな、

『侍のようなきっぱりとした、潔さは、みじんもなくて』

それどころか、

最終弁論・説明・言い訳でも、


いやらしくも、『エンブレムに、盗用問題はないが、国民の中には、

が、納得が、行かない人たちもいるので、----』


ということです。


こういう人たちが、


日本の中枢であり、

一時は、

かつては、

日本のサラリーマンや、官僚のの出世の憧れであったり、

鏡であったり、と

いう感じです。

世の中には、「蓼食う虫も、なんとか』

なんていうのもありますが、


デザインが、似ている、

似ていない、

なんていうのは、

そういうこととは、違います。

だれが、見ても、これは、「似ています」

「まねています」

もしかしたら、「パクリです」


これを、2秒で、わかるはずです。

こんな大騒ぎしなくても、

大至急に、撤回するべきでした。


『それこそが、日本人の侍としての、潔さです』