スマホで敗れた「ノキア」が再び復活できた理由

7/14(日) 5:40配信

東洋経済オンライン

スマホで敗れた「ノキア」が再び復活できた理由

ノキアのリスト・シラスマ会長は、同社の大変革期を率いてきた(撮影:佐々木 仁)

かつて携帯電話市場を席巻した「北欧の巨人」、フィンランドのノキア。旧来型携帯電話の呪縛から逃れられず、スマートフォン市場では大きく出遅れ、アップルのiPhoneやグーグルが開発したアンドロイドOSにシェアを大きく奪われた。
携帯事業に可能性を見いだせなくなったノキアは、マイクロソフトに同事業を約54億ユーロで売却することを決断。その後は通信機器メーカーとして再出発を果たし、当時ささやかれた倒産危機を逃れた。現在は次世代通信「5G」の重要プレーヤーとして注目されている。

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この大変革期に同社を率いたのが、2012年に就任した取締役会会長のリスト・シラスマ氏だ。来日したシラスマ氏にノキア復活の舞台裏を聞いた。

■iPhoneになぜ大敗したのか

 ――そもそもスマートフォン市場で大敗した原因はどこにあったのでしょうか。

 私が会長になってすぐに感じたのは、すべてわれわれ自身の間違いだったということ。当時を振り返れば振り返るほど、破壊的テクノロジーにあらがうことの難しさを思い知らされる。生物の進化の過程にも似ていて、新参者が非常に優位に立つ。

 ノキアはスマホが登場する以前から、旧来型の携帯電話を作っていた。このビジネスは非常に成功し、世界のトップシェアを握った。だがこの成功に固執し、スマホへの参入が遅れた。ノキアの携帯を持つ消費者にアンケートをとると、95%はタッチパネルのデバイスを使いたくないと答え、数字キーボードやQWERTYキーボードが圧倒的な支持を集めた。結局消費者の要望のうち、目に見える部分だけのものに従っていた。

 さらに、旧来型携帯ではソフトウェアはあまり重要でなく、複雑性はハードウェアのほうにあった。それゆえ、当時はデバイスの機種ごとにソフトウェアの仕様が変えられていた。スマホでも複雑な仕様設計を続けてしまった。

 顧客である通信会社からの要求もあった。スマホに変わったことで増える通信料について苦情を聞きたくないため、アプリを開こうとすると「追加的な通信料がかかる可能性がある」という通知をいちいち出したり、各社それぞれの仕様に合わせたメッセージアプリを搭載したりした。その結果、われわれのスマホOSはジャングルのようになっていった。

 ――通信会社との関係に縛られていたのですね。

 そもそも消費者の顧客は通信会社のもので、われわれのものではないと考えていた。アップルが「アップルID」でユーザーを囲い込んだように、われわれも「クラブ・ノキア」という仕組みを作ろうとしたが、通信会社からは反対された

 

 

 

一方、アップルは「iPhone」というまったく新しい製品から始めたため、通信会社のことを気にする必要はなかった。アップルIDの仕組みを作り、アプリストアを作った。ちなみにアプリストアの仕組みを最初に発明したのはノキアだ。いまだにアップルからは特許使用料が支払われている。

 アップルはそうした仕組みを受け入れないなら、iPhoneを売らせないという姿勢だった。ただエンドユーザーがそれを求める以上、通信会社は扱わざるを得ない。このように新参者がルールを変えてしまう現象は今、どんな業界でも起こっている。

■取締役会が機能しなくなっていた

 ――著書の中では、当時の取締役会の機能不全を指摘しています。

 iPhoneやアンドロイドスマホが席巻し、ノキアのシェアが落ち始めた頃を振り返ると、現場の社員が把握していたスマホ市場に不可欠な情報を、単純に経営層が知らなかったことが大きい。成功にとりつかれた組織では、悪いニュースは上へと流れていかない。

 例えばインドでは今、SIMカードを複数搭載できる「デュアルSIM」のデバイスが人気だ。時間帯によって、通信料金が安い方のSIMカードにボタン1つで切り替えられる。だがノキアの研究開発部門や経営陣は、費用がかかって利益を押し下げるとして対応しなかった。競合がデュアルSIMの製品を投入し、ノキアのシェアは激減した。経営層の耳に消費者の声が届かない組織構造になっていた。

 ――会長就任後、そうした問題をどのようにして解決したのですか。

 まず自分自身にさまざまな問いかけをする。取締役会であれば、「われわれは株価やメディアの言うことばかりを気にしていないか? きちんと競合状況やテクノロジーの根本変化について話しているか?」といった具合だ。

 次に、こう考える。「われわれは物事について正しいやり方で議論しているか」。穏便に済ませようとするのではなく、互いを信頼し、ネガティブなトレンドやニュースに向き合おうとしているか。誰かが悪いニュースを報告したら、微笑んで、感謝をする。そうしなければ、誰も悪いニュースを報告してこなくなる

 

 

 

そして最後に、「われわれの組織の中には誰でも異議を唱えられる環境があるか」と問う。CEOにどうやって異議を唱えるか。これは日本の企業文化でも難しいことだろう。

 こうした議論の環境を作るのに重要なのが、私が「パラノイア楽観主義」と呼ぶものだ。パラノイアのような健全なレベルの用心深さと恐怖心に加え、経営に関する複数のシナリオを考え、前向きで先見性のある展望を併せ持つという考え方だ。

■マイクロソフトへの事業売却の舞台裏

 ――これまでの経験では実際にはどのように役立ってきたのでしょう? 

 マイクロソフトと携帯電話事業の売却交渉をしていたときのことだ。われわれのビジネスそのものといっていい事業を売却することは容易ではなかった。当時はスマホの製品開発でマイクロソフトと提携し、「ウィンドウズフォン」を展開していた。彼らとは独占契約を結んでいた。

 だがマイクロソフトが自社開発のノートPC「サーフェス」を発表すると、事態は大きく変わった。われわれノキア側は「マイクロソフトはそのうちスマホにも進出するのではないか」と考えた。独占契約と言っても一方通行だったのだ。ノキアは他社とは組めないが、マイクロソフトは競合製品を作ってもよかった。

 そこでさまざまなシナリオを考えた。スマホを作るとしたらどれくらいの時間がかかるか、それに対してわれわれは何をすべきか、彼らがやろうとしていることをどのように知るか。あるいは、彼らを訴えることはできるか。さらに、マイクロソフトがスマホメーカーを買収しているとしたら? もしかするとHTCを買収するのかもしれない、彼らは交渉中なのか。最悪のケースを避けるために、さまざまなシナリオを考えた。

 ――交渉はどのように進んでいったのでしょうか。

 最初にマイクロソフトのスティーブ・バルマーCEO(当時)に会った際、私がまず伝えたのは、「われわれはパートナーだ」ということだった。だからこそ、マイクロソフトが自社開発のデバイスを作る必要があるなら、その理由を理解する必要がある。なぜ今のままではパートナーシップが成功に導けないのか。どの部分がうまくいかないと思うのか。既存の提携関係を変える余地はあるのか、といったことを尋ねた。

 もちろん、スマホの販売数量が伸びず、当時の提携関係には互いに満足していなかった。だからこそ、この交渉がマイクロソフトとの関係を変えるいいきっかけだと考えていた。その間、われわれが自信を持って発売した新製品「ルミア920」の売り上げが、目標数値に達する前に減り始めた。私はスマホビジネスはもううまくいかないと悟り、その瞬間にマイクロソフトへの事業売却が最優先事項に変わった。

 

 

 

 

 

■通信機器メーカーへの大変身

 ――携帯事業の売却を経て、シーメンスとの通信機器の合弁会社を100%子会社にしました。このことが、通信機器への集中のきっかけとなりました。

 マイクロソフトと交渉していた2013年の夏、われわれはシーメンスとも交渉を進めなければならなかった。彼らが通信機器の合弁会社「ノキア・シーメンス・ネットワーク(NSN)」の株を売却したいという意向を示したからだ。その頃は将来の戦略をじっくりと考える時間はなく、交渉を完了できるかも不透明だった。

 NSNの完全子会社化が決まり、さらに2014年4月にマイクロソフトによる携帯事業の買収が完了して、われわれはようやく通信機器ビジネスへの注力を決定した。この分野は長年の経験があるうえ、従来からの顧客である通信会社からも受け入れられやすかった。さらに5G時代の到来で、多くの設備投資のチャンスがある。

 ――2015年にはフランスの通信機器メーカー、アルカテル・ルーセントを156億ユーロで買収しました。

 ノキアは戦略的にとてもよいポジションにいると感じている。これだけ幅広い製品群をグローバルに、大企業や通信会社向けに供給できるメーカーはほかにいない。別々のベンダーに頼らずとも、ノキアはネットワーク構築に必要な一通りのソリューションを提供できるようになった。

■起業家マインドがノキアを変えた

 ――会長に就任し、巨大企業であるノキアを変革するには、多大な労力を必要としたと思います。シラスマ会長を駆り立てた原動力は何だったのでしょうか。

 多くの起業家は同じように考えると思う。私は1988年にセキュリティのテクノロジー企業を立ち上げ、18年間CEOを務めた。今でもその会社の最大株主であり、会長だ。物事が間違った方向に行かないように、頭の中でシナリオを作らないわけにはいかない。

 ノキアでも同じ気持ちだった。会社が正しい文化を醸成できていれば、従業員は皆プライドを持つ。プライドを持っていれば、会社がうまくいくために何ができるかを考える。たとえ外部から招かれた経営者であっても、傍観者にはならず、起業家として責任を持たなければならない。そういうマインドを、私は自分で持とうとした。

 

 

 

 

――現場の社員とのコミュニケーションも重視しているようですね。

 私は純粋に、会社の中で何が起こっているかということに興味があった。そして誰かが私の部下だと思ったことはない。私が創業した会社では皆平等だ。私がボスではなく、皆が一様に同僚だった。単に、私には特定の役割と下すべき意思決定があっただけだ。

 だからノキアの本社では今でも、私はカフェテリアに座り、紅茶を飲みながらメールをチェックする。なるべく近づきやすい雰囲気を出すよう努めていた。通りかかった人々と話す。時には会ったことのない社員とも。彼らが取り組んでいるプロジェクトのことを効き、議論を交わす。そうすれば、うまくいっていること、いっていないことがよくわかる。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190714-00291923-toyo-bus_all&p=5

 

 

 

中川 雅博 :東洋経済 記者