究極の理想像
意味がわからなくなってきた。
そりゃ、あくまでイメージなら、こういう人間になりたい、こういう仕事をしたい、こういうスキルをつけたい、
こういうことをやってみたい。。。あるんだけどね。
やりたいこと、到達したい究極の理想像は何処にありますか?
という問いの本質では無い気がする。
自分の使命みたいなのが分かっている人間など、そうそういない。と思う。
こう言ってはなんだが、生きていなければいけない人間などいるのか?
それは、家族にとって必要だとか、死んじゃいかんから精一杯生きるべしという道議上の
問題に過ぎんよ、というオチではないのか??なぞと思ってみる。
皆、フツーに家族を築き、仕事をして、家事をこなして、子供を育て、
なんとなく責任を背負って生きている。趣味とか持ってみたりね。
なんとなく、責任を負うこととか、やりがいをもつことで答えを出そうとすることを
誤魔化しているのかな。。なんて。。。。
人生を精一杯楽しむのが目的だと仮定したら、到達したい理想像という解に到達出来るのか?
その仮定を満たす解は多数あり、やっぱり問いの本質からはぼけてしまう気がする。
一方で命だとか、理想だとか尊いものだと心底思う。
考えてみりゃ我ながら不思議ちゃんだ。
よく分からないと言っているのに、尊いなぁと感じている訳だな。
胸に手を当ててみる。
俺はむなしいと悲観して死にたいって訳じゃないんだね、うん、そこは大丈夫だ(笑)
生きる意味とは、究極の理想像とは?という様な難問に対して、
何故?何故??という答え(事実)を、少しづつ積み重ねて到達しようという
ロジカルなアプローチよりも、感性で乗り切った方が前向きになれるということなのか?
オイラは少し、感性というのをバカにしているフシがある。
けれど感性とかノリで生きる方が、お得な生き方だという気がする。
迷い
俺のバリューはなんだろ?
。。。。
やっぱり、楽しく愉快に生きることかな?
だったら仲間も大勢いたほうが愉快だよね?そりゃ、人と付き合っていけば、嫌な事もあるだろさ。そんなの当たり前、うん。そんなの目の前の小さなことなのだ、うん。
バリューを大切にして生きるということは、時にしんどいこともあるってことなのだ、きっと。
脳のからくり
竹内 薫、茂木 健一郎 著
最近、脳のことに興味を持って茂木さんの本ばかり読んでいます。
何に惹かれるのでしょう?
自分は今、一定の?考え方の『クセ』が出来ているという自覚があります。
そうです。そいつは嫌なクセなのです。
”マイナス思考”、”批判的思考”、”不安になりやすい”
そういう自分がいても仕方が無いと認める様に努力はしているつもりだけど
やっぱりもっと大らかに生きたい
自分の考えなぞ所詮は脳の中の信号のやりとりに過ぎないのなら
脳というメカを知るというのは意味のあることだろう
そんなところから興味がきているのだろうと思います
実際に茂木さんの本を読んで前向きになれたことがあります。
本書は私のような素人を対象に脳のことを分かりやすく記載しています
最後の方は未だに解明されず、解明の目処さえたたない
クオリア(脳が感じる質感?)、さらに意識はどのように生ずるのか?という
究極の問いについても書かれています。
ペンローズによれは意識は量子論の波束の収縮の発生と関連がありそうだとのこと。
・・・・・
何のことやら分かりませんが(笑)、結局意識のメカニズムは現在も分からないし、これからも
計算することは出来ないだろうというのが正解の様です。
正確性は欠くかもしれませんが、脳は結構いい加減というか、フレキシブルな性質を持っているようです。
逆さめがねをかけ続けると、最初は倒立してみえる世界が慣れ(記憶の照合?)で
元の正立した世界に見えるように戻るのだとか。
悪い方向に考えてしまうような”認知的なクセ”も自分の努力によって直せるのじゃないかな?
自分を変えたり、何かを成し遂げるのには意思のチカラが問われることは間違いないと思う。
自分が信じなきゃ誰が信じる??ねっ!!
