江戸時代、迷い子と訪ね人が多かったようです。江戸町民が人と人の輪で暮らしを良くしようとしていたことが「迷い子の碑」で知ることが出来ました。
東京・八重洲一丁目に「一石橋(いちこくはし)」が有ります。一石は米麦などの量を計る単位です。1石は10斗に当たります。戦後の日本でも現在のメートル法が決められるまでは、この単位が使われていました。
この「一石橋」のたもとに、この古い石碑が建っています。
満(ま)よひ子の志(し)るべ
この石碑の説明によると、安政4年(1857年)に建てられたと記されています。いまから157年前の江戸時では迷い子とか尋ね人が多かったようです。そこで、日本橋界隈の町名主が奉行所に申し出て、この迷い子の碑を建てることを申し出たとあります。
この迷い子の碑の右側には「志(し)らす類(る)方。同じく左側には「たずねる方」とあって、上に窪みが有ります。
このくぼみに、尋ねる人はその人の特徴とか年齢などを記し、心当たりのある人はその情報を書いた紙を張り付けました。
江戸時代という情報手段の少ない中、江戸町民が工夫を巡らし、くらしの「安心安全」を図っていたことが伺えます。