戦国の世に徳川から豊臣に寝返った | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

戦国時代の武将、石川数正(?-1592)をご存じだろうか?石川教正は徳川家康に幼少から仕え、家康に非常に可愛がられました。

家康の軍門で石川数正は姉川の戦い、三方が原の戦い、長篠の戦いと転戦、武功著しく徳川家臣で重きを成しました。

しかし、その石川数正は「まさかの行動」に出ます。家康と秀吉が戦い、豊臣秀吉が優勢と見るや、さっさと家康を見限り豊臣秀吉に寝返ってしまいました。

その戦いは小牧・長久手の戦いでした。

この戦役で秀吉は実の母を人質に出すなど家康を懐柔して、やっと家康と和解。

石川数正はこの戦役の翌年1585年(天正13年)に秀吉の大坂城に駆け込み秀吉に臣従したのでした。

松本城
     松本城のキーホルダー

松本城 

    五層の天主閣松本城

 

石川数正は秀吉にも重く用いられ、1590年信濃国松本城の城主八万石に封じられたのでした。

その後、石川数正は名護屋(名古屋)在陣中、陣中で病死します。徳川家康が勝利する関ヶ原の戦いがこの7年後に勃発したのでした。

石川数正が豊臣秀吉に走らず、徳川家康の下にいたら歴史は如何様に変わったか思うと興味のあるところです。

 

 


ニッセン



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