
新田義貞(~1337)の鎌倉攻めで自刃した北条高時(1303~1333)の「腹切りやぐら」です。北条高時は鎌倉幕府最後の執権でした。この「腹切りやぐら」は鎌倉市小町に在ります。
新田義貞と北条高時の戦いは、「元弘の乱」と称され、その戦いで高時が敗れ、自刃(1333)しました。しかしそのことが直ちに鎌倉幕府の滅亡とすることは早計のようです。

東京都町田市本町田に菅原神社が有ります。

菅原神社の境内に「井出の沢古戦場」(いでのさわこせんじょう)の碑が建てられています。

町田市の菅原神社から鎌倉街道を望む
北条高時が自刃の1333年当時、北条高時の子の北条時行が信濃に隠棲していました。北条時行は、父の高時自刃から2年後の1335年(建武2年)、信濃から鎌倉街道を馳せあがり一時、鎌倉を奪還しました。
この戦いが「世に言う「井出の沢の戦い」です。北条時行は鎌倉を20日程占領しましたが、足利尊氏と直義の軍に制圧されました。
時代の流れは、その時すでに足利尊氏の室町時代に大きく動いてはいましたが、この「井出の沢の戦い」は北条の名を弥栄に挙げた戦いでした。





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