東京・青山に丹波篠山城主の屋敷が在りました | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

私の故郷は兵庫県の丹波篠山です。篠山は1999年に町村合併により篠山市と成りました。「丹波篠山の黒豆」が流布されたお蔭で大分知名度が上がって来ました。

しかし、近くに「丹波」を地名とする地域が複数(兵庫県丹波市と京都府丹波町)有り観光的に混乱を招いている面もあります。「篠山城のある丹波篠山」と言えば特定出来ます。

篠山5

篠山1

篠山城の城跡からの風景です。写真中央の遠くに見える山が八上城です。戦国時代初期、織田信長の命を受けた明智光秀が攻めあぐんだ山城です。

ささやま

篠山城の正面登城口です。篠山城は関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が藤堂高虎を縄張奉行として1609年に完成しました。篠山の地理的位置は大阪方面に出る関所的存在でした。そこで西国大名の抑えとして篠山城を築城しました。

ささやま

篠山城のお濠です。今も満々と水を蓄えています。そのお濠傍の白い壁の建物は篠山市庁です。城の情景に馴染む配慮が成された建物構造に成っています。

篠山

篠山城につながる道筋です。大正モダニズムの建物が並んでいます。この道を200mも進むと篠山城に至ります。

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篠山城の城下町です。この辺りは呉服町と呼ばれています。古くから呉服を商う商人が店を連ねていた事からその名が有ります。

篠山城は譜代6万石で、幕末の大名は青山忠誠公でした。その青山氏の江戸の藩屋敷が現在の東京の青山3丁目辺りに有りました。

東京都の青山なる地名が丹波篠山のお殿さまに縁がある事実は丹波の山猿達は誇りとしているところころです。


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