イタリアの「水の都ベニス」 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

先日、テレビ番組で「世界遺産」を観ました。舞台はイタリアのべネツィア(Venezia)物語でした。英語の読みでは、おなじみの「水の都ベニス」(Venice)です。


私は南イタリアとギリシャの旅の経験は有りますが、ベニスとかピサの斜塔を観る旅はした事がありません。ベニスはテレビ番組を観てから是非、旅したい大切なポイントに成りました。しかし、今夏ごろから急速にユーロ圏の経済混乱が伝えられています。その余波で治安もよろしくないと聞きます。早く、いい方向に収まってほしいものです。


ところでベニスは120の島から成っています。周りが水で囲まれた沢山の孤島から成ります。囲りが水に囲まれている事で敵の侵入から自国を守ることを容易にし、5世紀来のベニス建国を援けました。


ベニス人がこの過酷な地勢的悪条件を克服してキリスト教世界でも有数の海軍力を持つ都市国家に成長させました。古代ベニス人の知恵と努力の他なりません。


5世紀の当時、長さ10メートルにも及ぶ木の杭を多数海に打ち込み、その上に石材を敷き建物を建てました。海底の地盤は水に侵され難い地盤であった事も幸いしました。それは「ベニスを逆さにすると森になる」と言われる所以です。


120にも及ぶ島は橋により細かく繋がれ、全体として見れば大きな国を構成しました。その結果、都市国家は迷路のようになり、敵の侵入を防ぐために大変都合良かったのです。


しかし、ベニスは15世紀半ばのオスマン帝国の進出により、その最盛期の終りを迎えます。その後、パスコ・ダ・ガモの喜望峰の発見などにより国勢は衰退しました。喜望峰の発見は、ベニスの運河を経なくてもインドとの交易が出来るように成り、貿易船のベニス運河の通行税も入りません。


さらに、ベニスは1797年ナポレオン1世に征服されました。その後、オーストリアに支配されたり、イタリアに引き渡されたりされるなど、苦難の道を歩みました。ベニスは、1848年に一時、新共和国を建国して独立国になりましたが、現在ではイタリア王国の一国に成っています。


近年ベニスは地球温暖化の影響と思われますが、水位の異常な上昇により、建物の沈下が進み、将来の水の町「ベニス」の危機が言われています。


古代から、ベニスの周辺の地域には、ウェネティ人が住んでいましたが5世紀ごろゲルマン人のイタリア侵略から避難するため、その人達はベニスに住み付いたと言います。


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