NHK総合テレビの大河ドラマ 「風林火山」 の放送は、2007年度でした。あれから、もう4年も経ちました。私はそのドラマの完結後、舞台と成った信濃国の旅をしました。
この大河ドラマの原作は、芥川賞作家 「井上 靖」(1907-1991)の小説「風林火山」でした。この小説では武田信玄の軍師、山本勘介(1493?-1561?) を中心に描かれています。
小説では信濃の国・諏訪家の由布姫(陽姫とも)が武田晴信(後の信玄)の側室になり、正室 三条の君との確執も描かれています。
晴信(信玄)の信濃攻略戦では、いよいよ信濃の剛勇 村上義清との上田原の合戦場面が圧巻です。この合戦では晴信、生涯最大の激闘。晴信の副将、駿河守・板垣信方が天文11年(1548)、この地で壮絶な討死。
晴信にとって生涯最大の屈辱でもあり最大の痛手でした。私はこの武士(もののふ)達が死闘を演じた合戦の跡を、その往時を偲びながら旅をしました。
義清の砥石城跡
真田家の居城の有る上田町
1600年の「関ヶ原の戦」では、真田幸村の兄・信之が東軍に味方。東軍の戦勝後、信之、家康より上田城主に任ぜられます。西軍に付いた幸村は、「関ヶ原の戦」を経て、大阪の役で討死。真田昌幸は昌幸の子・信之の嘆願により赦免されます。信之の末裔が明治維新まで存続しました。
真田家の親子が東軍と西軍の両軍に味方に付いた所為は、お家存続を苦心した真田流の策と考えていいでしょう。