■丹波篠山と明智光秀 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

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「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

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私は兵庫県篠山市の出ですが、その篠山を舞台に演じられた戦国時代の出来事に付いて書きましょう。


真空管のアナログ世界に魅せられて-高城山
篠山城址から高城山を望む

この山頂に「八上城址(やがみじょうし)」が有る


真空管のアナログ世界に魅せられて-篠山城
お堀から篠山城を臨む


真空管のアナログ世界に魅せられて-篠山城下町

篠山城の城下町


戦国時代の丹波篠山の統治者は明智光秀でした。光秀は、三日天下とか主殺しとかの良くないイメージがありますが、地元篠山では評判は悪くは有りません。光秀は善政を敷き篠山の民に慕われていた様子が伺えます。


光秀は、信長の命により、丹波攻略の途に付いた時、直ちに丹波一帯に強い勢力を持つ、丹波篠山の山城、八上城攻略にかかります。城主は、豪族・波多野秀治でしたが、頑強に抵抗、光秀は貴重な日々を浪費、信長の機嫌を損ねる事を恐れ、正面作戦を放棄、懐柔作戦に出ました。


光秀は自分の母(一説には乳母とも)を人質に差出し、秀治に下山を勧めます。信長に掛け合い命を保障すると。しかし、信長は光秀の申し入れを容れず、秀治を処刑します。これで怒った八上城の家来衆は、人質の光秀の母を、松の大木に縛り、処刑。今でも山上にその松が存在します。


これで、2代続いた、皇家の流れを汲む名家、波多野家は滅びます。時に、1575年です。この山城は、関ヶ原の合戦後、篠山城が、藤堂高虎の縄張りで完成するとともに、廃城となりました。


地元では、この八上城の有った山を、高城山と呼んでいます。高さ400メートル程の小高い山です。現在は、ハイキングコースに成っていて、コースには血洗いの池とか、家老屋敷跡などがあります。



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