ここ、2回ほど、鎌倉の史跡を紹介して来ました。その締め括りとして、新田義貞について書きます。
鎌倉幕府は、新田義貞の鎌倉攻めで、執権北条高時を最後に潰えます。後、義貞は足利尊氏と闘い敗北、室町時代が成立します。
新田義貞に纏わる伝説を紹介しましょう。
その史跡は鎌倉市の由比ヶ浜と七里ヶ浜の中間ほどの位置に在る稲村ヶ崎です。現在は公園に成っています。
写真[1]の絶壁の岬が、先に紹介した「稲村ヶ崎公園」です。新田義貞が宝剣を海に投げて海を鎮めたと言う故事でも良く知られています。
また、義経の「腰越の申し状」で有名な腰越は、この島の前方、小動(こゆるぎ)に有ります。
「新田義貞」(1301~38)
南北朝時代の清和源氏の武将。
鎌倉幕府(執権 北条高時)を攻めて倒す (1333)
写真[1] 稲村ヶ崎公園

{写真2} (江ノ電江ノ島に向かう)
何年か前に、この稲村ヶ崎から一振りの刀が発見されたことが地元の新聞に掲載され話題に成った事があります。
この一年お世話に成りました
よい年をお迎え下さい