■東海道53次「義経と藤沢」 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

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「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

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先日、神奈川県の藤沢をゆるりと歩いて来ました。


藤沢は、東海道53次の一つですが、観光の目玉は江ノ島でしょう。


しかし、私はこの江ノ島を横目に、源義経ゆかりの神社を訪ねました。


ここで、源義経に触れておきましょう。


義経
義経像

小柄で優しさを感じ、武将のイメージを感じない


義経は、源平の戦いで、ひよどり越えの闘いで平家を海に追いやり、


壇ノ浦で源氏の圧倒的勝利に終りました。


神戸電鉄
義経が平家と戦った 「ひよどり越」

兵庫神戸電鉄


その後、藤沢まで凱旋しましたが、鎌倉の腹違いの兄、頼朝と対立、


涙ながら奥州の藤原氏を頼って、落ち延びましたね。


その間、愛しの京の白拍子・静御前との悲しい別れも有りました。


股肱の家臣・弁慶の懸命の働きも有って、何とか安住の地を奥州に得たかに見えましたが、やがて頼朝の奥州攻めで、義経は衣川館で討ち死にすることに成りました。


その首実検のため、義経の首は、美酒に漬けられ、この藤沢まで届けられましたが、兄頼朝はその首さえも鎌倉に入るを許さず、


已む無く、近くの川に無惨にも投げ捨てられました。


それを哀れみ、地もとの志ある村人により、拾い上げられ、


小さな祠が作られたのです。


義経
義経の首洗い塚


この塚は、藤沢本町に在り、

ビルとビルの狭間にあります。

よほど注意深く探さないと分かりません。


義経
塚に在る 「義経の首洗いの井戸」


俗に義経は、優れた武将であったが、政治家ではなかった。


反して頼朝は政治家であった、と評されますが頼朝は兄弟でありながら


実の弟にも非情の人で有ったわけですね。


私はこの祠の前で、暫し、考えに更けざるを得なかった次第です。


次回、再び、この義経の件を書きましょう。


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