■シャープは東京の電機会社だった | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

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今日は、関東南部を襲った日本最大の被害をもたらした関東大震災の有った日です。(1923年 大正12年9月1日)


この震災は、個人にも企業にもその運命を大きく変えた日でも有りました。


大阪市に本社のある電機の「シャープ」もこの震災が運命を大きく変えました。


シャープの創業者、早川徳次は、1912年(大正元年)ごろ、東京で金属加工職人として、かんざしを作ったりして、暮らしを立てていました。


その後、器用な金属加工の腕を生かして、1915年(大正4年)に「シャープペンシル」を完成、人気に。若干23歳の時でした。


しかし、この順調な金属加工業も、この関東大震災により、全てを失います。


この震災を契機に大阪に移り、鉱石ラジオの製造を手がけたり、1925年に国産第一号の真空管ラジオを完成しました。


社名を、「早川電機工業」に改め、後に現在の

「シャープ」としました。


1952年(昭和25年)には、国産第一号の白黒テレビを発売開始。皇太子のご成婚も売り上げに弾みが付き、極めて順調に社業を伸ばしました。


国債第1号シャープのテレビ

シャープの国産第一号のテレビ


「シャープ」は電卓でも他社に先駆け、研究、1964年(昭和39年)に第一号を世に出しました。


電卓シャープ

シャープ開発の「トランジスター式電卓」

「CEATEC JAPAN」にて撮影


電卓の心臓部に、トランジスター使用からICへ、さらにLSIへと進化、やがて、手の平サイズの電卓を世に出す事になりました。


シャープの歴史は、常に他社に先んじて、先端技術に挑戦、国産初の電気製品を世に出してきました。


このあたりが、創業者「早川徳次の精神」が脈々と引き継がれている証と思われます。


皮肉な事に、この関東大震災が無ければ、世界の「シャープ」は、東京に本社を構える電機会社に成っていたことでしょう。


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