★そこは鎌倉の「塩の道」だった | 真空管のアナログ世界に魅せられて

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「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

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人間が生きて行くためには、


「 塩 」と「 水 」と「 食料 」 が必要です。


中でも、人間の最低限の生命維持には、

「 塩 」が一番大切でしょう。


戦国期の武将達は、塩を確保する為に苦労しました。


武田信玄などは、活動拠点が山に囲まれた甲州(山梨)

だった為に、塩が絶たれることは生命を絶たれる事だった。


信玄が塩を確保するためのルートは、甲州から日本海に

注ぐ糸魚川沿いだった。謙信が信玄に塩を送ったのも

この道だった。


このルートを 「 塩の道 」 と呼んでいた。


言い換えると、「 命の道 」とも言えるでしょう。


ところで、私は神奈川の鎌倉辺りに住みますが、

この鎌倉は三方を丘陵に囲まれ、南方が海に面している。


稲村ガ崎公園

鎌倉の海の玄関 「由比ヶ浜」

前の小山は「稲村ヶ崎」

鎌倉を攻める新田義貞が宝剣を投げて

荒れる海を鎮めた故事が有る


私が考える所、源 頼朝がこの地に幕府を開いた理由は、

この鎌倉の地形が、「敵が攻め難く、守り易い」 地形だったからに違いない。


鎌倉は、自然の地の利を得た


大きな要塞」 だった。


鎌倉には、山を切り開いて造った「切通し」 と言われる人工の道が有ります。


鎌倉

「朝比奈の切り通し」を示す標識


その切通しは、全部で七つ有りました。


その一つが


朝比奈の切通しです。


朝比奈切り通し
「朝比奈の切通し」

この道は、夏でも涼しい


この切通しは、六浦(むつうら)に至る。六浦は鎌倉時代から、良質の塩を生産する地だった。この道から六浦の塩とか米麦を運び入れる道だった。


「朝比奈の切通し」は、鎌倉の 「塩の道」だった。


鎌倉を狙う敵は、この道を真っ先に襲ったに違いない。


しかし、鎌倉側も、そのことは十分認識していた。


幕府は、この道の整備は敢えて行なわず、敵の侵入を

困難にした。一方、警護を厳重にしたのだった。


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