★こんなところにも悲恋物語 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

先ずは、この樹木に覆われ、こんもりとした小山をご覧あれ。


娘悲恋


私の散歩コースに「いたち川」と称される川がある。

なんの変哲もない小さな川で、そばを通ると放流された

鯉がえさを求めて寄ってくる。


いたちプレート

ここに昔から伝えられる悲しい物語がある。


ころは、江戸時代はじめのころらしい。


ある若く美しい娘が、この小山の民家に親子で質素な生活を

営んでいた。


家業は農業で、米麦とか野菜を作ったりして、親子はそれなりに楽しく暮らしていた。


ある日、夜の帳(とばり)も下りたころ、この小山のそばを通りかかった若い男が、山の上のほのかな灯かりを頼りに訪ねてきた。


一宿一飯のお世話になりたいと・・・。


若者は、急ぎの所用で一両日のうちに江戸に着かねばならないという。


この土地から江戸までは50キロほどか。昔流で、13里ほど。

若者の早足でも一日では無理か。


娘は、この若者のお茶の世話などする内に、若者のキリリとした整った顔とそつが無い物腰に、娘はすっかり惹かれてしまったと言う。


翌朝早く、若者は懇ろに親切を謝し旅立とうとした。

ところが、娘はこの若者にすっかり恋をしてしまっていた。


娘はしきりに引き止めたが、若者は、


「旅が終われば、必ずここに戻ってくる」・・・・


約束して江戸に向け旅立って行った。


ところが、半年、一年経っても若者は再び、娘の前に現れる事はなかった。


娘は、嘆き悲しみ、このいたち川に身を投げ、はかなくなってしまった。


私は、この散歩コースを通る度に、何時も

" この川をそっと覗く " 習慣になってしまった。