京都に医療用などの計測機器に強い会社、島津製作所が有ります。この会社の設立は、1917年です。資本金266億の堂々たる大会社です。
この会社を一躍有名にした出来事は、同社の研究者の田中耕一さん(1959~)が、タンパク質などの新しい分析法の開発が評価され、ノーベル化学賞を受賞した事でしょう。
田中耕一さんのノーベル化学賞受賞は、平成14年で、化学賞は日本人としては4人目の快挙でした。田中さんの実直な人柄が、同社の評価を益々確かなものにしました。
★全ジャンルでは、湯川秀樹氏以来、12人受賞。
今回は、この島津製作所の創業者である、九州の島津家について紹介しましょう。同社の創業は、明治の発明家 島津源蔵氏です。
更に、島津源蔵氏の祖先を見ますと、豊臣時代初期に、九州全域を平定した実力者、島津家にまで遡る事が出来ます。
それは、戦国時代、1600年に勃発の関ヶ原の合戦のときでした。関ヶ原の合戦は、石田三成を首謀者とする西軍と、東軍 徳川家康との戦いでした。
この合戦に、成り行き上で、不本意ながら西軍に属した島津義弘(1535-1619)が、島津製作所創業の祖先です。言い換えますと、島津源蔵の祖先です。
島津義弘は関ヶ原の合戦では、戦線には一切参加しませんでした。同合戦が秀秋の裏切りで西軍の雪崩的敗北では、決死の敵中脱出を敢行、無事逃げ遂せたのは僅か10名足らずだったと言います。
この凄みを持った島津軍の演じた出来事は、後々まで、
「島津の退き口(のきぐち)」 として長く語り告がれました。
目をギラギラさせながらも整然として、堂々の敵中脱出する鬼相には、流石の東軍も度肝を抜かれて、手出しも出来なかったのでしょう。
関ヶ原の合戦後、島津義弘は、兄の義久と共に家康に粘り強く交渉、お家存続に成功、江戸時代の長い年月を経て、島津製作所の創設にまで至ったことに成ります。
島津製作所の創業の歴史を見ますと、九州男子の無骨ながら、強靭な精神みたいなものが脈々と流れているように思えて成りません。
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