私は、二十歳前まで、兵庫の丹波篠山に住んでいましたので、
関西弁が話せるし、分かります。
東京では、「生き馬の目を抜く」といわれて来ました。余り、
いいイメージの言葉では有りませんが、東京では、
「田舎もんは用心しなさいよ」の戒めだと思います。
関西では、どうかと申しますと、大分、その趣が変わります。大阪商人は、「爪に火をともして銭儲けをする」。
かたや、江戸(東京)では「宵越しの銭は持たぬ」のが、美風かの如く評されています。 この辺の事情は、古典落語を聴きますとよく分かりますね。
関西人は、ドケチ(倹約家)で、東京(江戸)人は、銭(ゼニ)に綺麗のイメージが有ります。しかし、現代の近代都市、大阪と東京では、夫々のイメージは相当変わっていると思います。
しかし、大阪商人は、今でも伝統的に銭儲けに熱心で、
また銭儲けが巧いと思います。
いつもの挨拶は、
「もうかりまっか」 が口癖で、
「さっぱりあかんわ」 がその答えです。
掛合い漫才のようでユーモラスです。この言葉には、多分に
謙遜の意味合いも有ると思います。
大阪商人は、太閤さんの時代より、たしかにケチ(倹約家)で、
稼ぎまくりますが、いざとなれば私財を投げ打って、
世のために貢献します。
今日は、そんないさぎよい大阪商人
「どうとん」を紹介します。
2003年に阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝したとき、
感極まって若者が飛び込み有名になった、大阪ミナミの
「どうとん掘」ですが、このお堀は桃山時代後期の「安井道頓」
(1533~1615)と言う河内の一介の町人が、
私財をなげうって、開削しました。
道頓は安土桃山時代、秀吉の命を受け、大阪城の横に
お堀を掘削したのが現代の「どうとん堀」なのです。
その後、道頓の功績を讃え、
「道頓掘」と称されるように成りました。
道頓の活躍した安土桃山の当時は、「東横堀川」と「西横堀川」の東西に両川が有りましたが、水はよどみ現代よりももっと汚い状態だったようです。
そこで両川を堀でつなぎ、水の流れを良くし、「川の浄化と運河としての機能向上」を目的に作られたのがこのお堀だったのです。秀吉はその労に報いるため、安井家にその周辺の土地を払い下げました。
後日談ですが、その所有権をめぐって、1976年(昭和51年)に裁判が行われました。しかしその判決は安井家に所有権は認めずの判決がでました・・・・。
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