★今日は何の日? | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

NHKラジオの第一で、いつも、朝7時ごろ、「今日は何の日?」 という放送をやっています。お聞きになっている方は多いと思います。


私も、この時間帯の放送は、大体聞いています。このごろは、寒いですから大抵はベッドで、ぬくぬく気分で聞いています。


ところが・・・・、


今日は、聞いていて、はっとしました。


私の歴史好きの虫がうごめきました。2/7は、北方領土の日、仇討ち禁止令公布、等々・・・と来まして、


「一の谷の合戦」と放送している!!


一の谷の連想から、私の故郷の丹波篠山とか神戸に思いを馳せることに成りました。


今日は、今から、823年前の1184年(寿永3年 平安時代の末期)に、「一の谷の合戦」が、繰り広げられた日だったのです。この源平合戦で、源 義経が、平家に最大のダメージを与え、戦いの趨勢を源氏側有利に大きく流れを変えた、その大合戦の日だったのです。


一の谷は、現在の兵庫 神戸の須磨あたりに在ります。瀬戸内海に面して、険しい屏風のような絶壁が有りますが、この絶壁を一の谷と言っています。


平家の軍勢は、この屏風を背中に、構えるところを、義経の奇襲により、まさかの背後からの不意討ちに合い、平家は海に追いやられた訳です。


この一の谷の合戦に至るまでには、ドラマが有りました。源氏側の木曾 義仲に京都を追われた平家一門は、一旦九州に落ちましたが、九州の武士団の支援を得て、勢力を取り戻し、一の谷に陣を構えていたわけです。


源氏側は、山陽道を源 範頼勢が攻め上がり、義経勢が、丹波の三草越えから、この一の谷に至り、丁度、平家を挟み撃ちにする体制で攻めたわけです。


義経は、「鹿が降りられるものを、馬が降りられない事はあるべきや」と、この絶壁を、騎馬もろとも、転げるが如く駆け下りました。一方、平家は、絶壁の屏風を背負っている事で安心していたのです。


この後、屋島の闘いを経て、壇ノ浦で、幼い安徳帝の入水により、源平合戦は、源氏の大勝で終るわけです。


しかし、この合戦の後、兄、頼朝と不和と成った義経は、奥州への逃避行の悲劇が始まります。


また、機会が有れば、この辺の物語を書きたく思います。


義経マップ採用

義経軍の進路と「一の谷の合戦」

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