日本の新幹線の東京~新大阪の開通は、1964年10月1日でした。それは東京オリンピックの開幕、9日前のことです。(東京オリンピックの開幕は1964年10月10日)
将に、日本の威信をかけた、東京オリンピックと世界最高速の時速210キロの高速鉄道が完成したことは奇跡に近い偉業でした。空気抵抗の壁を破るなどのため、戦時中の航空機設計技術が新幹線に大いに採りいれられました。
現在では、500系のぞみで、最高時速300キロ、試作車では443キロを達成しています。世界最高速度は、フランスのTGVの記録した515.3キロです。
日本はもともと、戦時中の1939年に、「日本全国縦貫弾丸列車構想」が当時の鉄道省で策定されていました。必要とする土地の買収も全体の20パーセントほどは済んでいました。
当時の構想では、東京~下関間を通過して、朝鮮半島をへて中国、ヨーロッパまで高速の列車を走らせるというものでした。時速200キロとしていました。実に気宇壮大ですね。
ところが、戦況の不利により1943年に、この計画を白紙に戻しました。当時の弾丸列車は、狭軌(線路の幅)の1067ミリで、エンジンは蒸気機関を想定していました。この構想は素晴らしいものがありますが、当時の技術水準では、その実現にはほど遠いものでした。
新幹線の構想は、戦後の1956年に、当時隠居中の70歳を超えた十河信二が、国鉄総裁に就任して具体化しました。技師長には、国鉄を既に退職中の島秀雄を呼び戻しその職にすえました。
新幹線は、日本で始めて1435ミリの広軌を採用しました。この広軌を採用した事により、高速鉄道にして振動の少ない安定走行と、高速化に耐える鉄道の完成に大変貢献しました。
日本がこれまで、狭軌を採用していた訳は、明治時代に鉄道建設にあたり、日本の国土が狭いという理由で狭軌を採用した経緯が有ります。
当時の世界の高速列車の状況は、アメリカのペンシルバニアが、時速153キロで、フランスのミストラルが160キロ程度でしたから、新幹線の東京~新大阪3時間、210キロ構想は世界最高水準だったのです。
その速度を実現したばかりか、世界一安全な新幹線を作り上げた事は驚異的な出来事でした。
当時、将来の交通機関は、自動車と航空機に移行するというのが世界の趨勢でしたので、新幹線構想は、世論の風当たりは厳しいものが有りました。
今回、海外で初めて日本の新幹線の技術を利用した台湾高速鉄道が開業。台北から8キロはまだ開業していませんが、最高時速300キロで走行。全線開通すれば台北と高雄間、345キロを1時間半で結ぶことに成っています。台湾高速鉄道の車体は、日本の「のぞみ系」をベースにしています。
日本の新幹線技術が、海外に輸出された初めての事例として、「台湾高速鉄道」の今後の活躍を大いに期待したいと思います。この技術輸出事例が、更に広がる事を期待したいですね。