僕が毎月読んでいる「勝己の友」という大阪盛和塾の機関紙の表紙には、こんなことが書かれている。
「天がある一人を生じた以上 おのずからその人に 固有の用というものがある」
毎月この文章を読みながら私自身の「固有の用」とはなんだろう?と思っていた。
今月号の内容、昨日書いたブログにあったこと、本日新聞で読んだ、来年度の我が国の予算の内容。
これらが繋がって、自分の固有の用が少し垣間見れたような気がした。
予算が膨れ上がる日本、これからも膨れ上がりそうなものは、社会保障費や地方交付税などである。
いわゆる自分たちでは、どうもできない依存せざるを得ないところの歳出が増えている。
そうなると他の分野への歳出は減り、自ずとこの分野以外は、自立が必要となる。
また、社会保障が減ったり、地方交付税がなくなると全員が更なる自立が必要となる。
私達日本人は、過去の恩恵を受けて世界的に見ると非常に豊かな生活が出来ている。(先人の頑張りや未発展時の諸外国からの支援)
全て今の自分たちが築いてることではない。
だからこそ、自分たちも過去から受けた恩恵を未来に、また様々な事情(国や他の事情)により支援が必要な人に対して返す行動が必要である。
いわゆる「相互支援」である。
相互支援には、自立が必要で、自律も必要である。
自立し、自律し、国に頼らない相互支援(国の役割は、病気やもろもろの事情による自立が厳しい人へ支援でOK)そういった行動を自分が出来るようになること、更にそういった社員を育てることが僕の固有の用なのかと感じた。
以前からこういった話をしてるので、私の話を聞いてる人は、同じこと言ってると思うかもしれないが、同じような事でも気づきがあった事は事実です。
書きながら腹落ちしてるのかしてないのか分からない感覚はあるが、方向性は間違えてないと思う。
書ききれない多くの想いがあり、書く事が苦手な(めんどくさくなる。言葉を上手く表現できない)僕として、今日は終了です。