【訃報】殺人医師 スティーブ・ウィリアムス死去 | .

【訃報】殺人医師 スティーブ・ウィリアムス死去

何故今年最後の日にこんな悲しい訃報を聞かなければならないのだろうか・・

Dr.Death(殺人医師)の異名を持ち日本で活躍したプロレスラー、スティーブ・ウィリアムスさんが12/29(現地時間)喉頭癌のため亡くなっていたことがわかった(享年49歳)

スティーブ・ウィリアムは1986(S61)年 新日本プロレスに初来日。

初来日早々アントニオ猪木・藤原喜明を立て続けに病院送りにしてしまい、その頃から“殺人医師”の異名をとる。

1990(H2)年から全日本プロレスに活動拠点をシフトチェンジ。盟友テリー・ゴディ(故人)やゲーリー・オブライト(故人)等とのコンビで世界タッグ王座、1994(H6)年7月28日には当時7回連続防衛中だった三沢光晴(故人)から三冠統一ヘビー級王座(第11代)を奪取するなど確かな実績を残した。

カメラ世界タッグ王者に君臨していた頃のスティーブ・ウィリアムス(左)とテリー・ゴディ。殺人魚雷コンビの異名を取った名タッグだった。

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1990(H2)年5月14日 天龍源一郎離脱後の新生全日本プロレス船出となった東京体育館大会のメインイベントでジャイアント馬場・ジャンボ鶴田組(いずれも故人)と対戦。ウィリアムが馬場からオクラホマ・スタンピートでフォール勝ちを奪っている(余談だがこの日のセミファイナルでタイガーマスクが試合中にマスクを外し“三沢光晴”としてその後の全日本プロレスの屋台骨を背負う事となる)

全日本プロレス時代は特に小橋健太(現:建太)との数多くの死闘が今でも私の脳裏に強く焼き付いている。

カメラ小橋に垂直落下式バックドロップを放つウィリアムス(`93/9/3 豊橋 三冠統一ヘビー級王座挑戦者決定戦)

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個人的な印象としてはアマチュアレスリング出身者としては異質のゴツゴツとした肉体を誇った直線的パワーファイター。

猪木、鶴田、三沢等の技巧派はウィリアムスのようなタイプを苦手とし、同じパワーファイターのスタン・ハンセンや橋本真也(故人)との試合では全く噛み合わず、シングル戦での活躍の場は元々不器用の故に極々限られていた感があった。

ウィリアムスの良さを引き出せる事が出来たレスラーは、先に拳げた小橋建太と`94 チャンピオンカーニバル決勝と同年10月の三冠戦でいずれも名勝負を演じウィリアムスから勝利した川田利明の二人だけだったと見る。

ウィリアムスは2004(H16)年に喉頭癌を患っている事を公表。手術後は声帯を摘出していた。

‐合掌‐