クソ社説の見本があったのでちょっとばかり語りたい。
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脱原発―政治全体で取り組もう
2011年7月14日(木)付
菅直人首相がきのう記者会見し、「脱原発」をめざす方針を明確にした。「将来は原発がない社会を実現する」と初めて言い切った。
国策として進めてきた原発を計画的、段階的になくしていくという政策の大転換である。
(中略)
民主党はかつて原子力を「過渡的エネルギー」としていたが、政権をとった一昨年の衆院選で原子力利用に「着実に取り組む」と方針を転換している。菅首相も原発依存を高める計画を閣議決定し、原発の海外輸出を成長戦略に位置づけていた。
こうした経緯を総括し、まず民主党としての考え方を明確にしなければ、首相発言は絵空事になりかねない。
自民党は過去の原子力政策を検証する特命委員会を設けて議論を始めている。電力業界や経済産業省とともに経済性を重視し、安全性を犠牲にしてこなかったか。真摯(しんし)な反省が不可欠だ。それなくして、新しい政策は説得力を持たないだろう。
エネルギー政策の転換を探る超党派の議員による勉強会も発足した。脱原発への機運は確実に高まっている。
だからこそ首相が交代した後も、この流れが変わらぬような道筋をつけてほしい。
(中略)
いまこそ、与野党を問わず、政治全体として脱原発という大目標を共有して、具体化へ走り出そう。
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菅の妄想記者会翌日のアカヒの妄想社説である。
”「将来は原発がない社会を実現する」と初めて言い切った。国策として進めてきた原発を計画的、段階的になくしていくという政策の大転換である。 ”
さも「新しい日本の夜明け」のごとく大上段に書く朝日バイアス120%の醜悪導入である。
そして
”自民党は過去の原子力政策を検証する特命委員会を設けて議論を始めている。電力業界や経済産業省とともに経済性を重視し、安全性を犠牲にしてこなかったか。真摯(しんし)な反省が不可欠だ。それなくして、新しい政策は説得力を持たないだろう。 ”
とサラリと自民を批判を挿し込む。
もちろん国会で多くの自民議員が反省の弁を語っていることは完無視である。
これほど菅の表明を賛美し、自民を貶める社説を書いておきながら、
昨日の「個人の感想」という菅の飽きれるまでの『絵空事』には、今日現在まで触れていない。
”いまこそ、与野党を問わず、政治全体として脱原発という大目標を共有して、具体化へ走り出そう。”
とエセ正義を振り回す左翼臭全開でアジっているが、脱原発のリスクには触れていない。
このように非常に分かりやすい形で世論誘導をしているにも関わらず、それに気づかない人が多いのには呆れる。マトモな人間ならば即解約である。
左翼お得意の「生きるか死ぬか」の二価値論によって脱原発問題は国民総思考停止にさせられている。
そもそもエネルギー問題は「生きるか死ぬか」の視点で語られるものではない。
以前も書いたが、原発の問題は「原子力発電所という建造物」の問題ではなく「管理体制」の問題である。
まず議論は「現管理体制の強化」か「新規管理体制の創設」で行わなければならない。その次が代替燃料の検討である。
国家のエネルギー、国防戦略を無視して「脱原発」など知性のかけらもない。
議論の本質を見極められないから、分かりやすい脱原発へ向かってしまうのだ。
そして、そう仕向けているのが朝日を始めとしたマスコミ臭団である。
クサレ朝日のキチガイ社説を引用して私は言いたい。
いまこそ、思想を問わず、日本人として脱朝日という大目標を共有して、具体化へ走り出そう。