夏越の祓 | 我が国のかたち

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平成22年の尖閣事件で自虐史観から解放された私。気づけば日本は大変なことになっておりました。

今日は夏越の祓です。


私は近くの神社へお参りしてきました。


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▲写真はイメージです。写真撮ってこなかったんで…


<夏越の祓>

一年を二つに分けた昔の考え方では、六月晦日は

十二月晦日に対応して前の半年の最終日にあたっています。


大晦日が新年を迎えるための大切な日であったのとおなじように、

六月晦日も、神に年の前半のあいだの無事を感謝し、

収穫までの後半年の無事を祈るための物忌みの日、祓いの日と考えられたのです。


昔、宮廷では十二月晦日と六月晦日の年二回、「大祓い」の神事が行われていました。

祓いは、日本の神祭りの基本とも言える作法で、大祓いの本来の意義は、

年間を通じて最も大切な正月と七月の祖霊迎えの行事を前にして、物忌みを行うことでした。
 

そして、十二月のほうを「年越し」と呼ぶのに対し、六月のほうを「名越
し」と呼んだのです。
 

その起源は古く、七百一年制定の「大宝律令」に定められています。

それは、大内裏の未雀院に天皇に仕える百官の貴族が集まって、

国民が犯した罪を除き去るために大祓いの詞をよみあげる儀式でした。

この大祓いの行事は次第に民間の神社でも行われるようになりました。
名越しは「夏越し」とも書かれ、この日を「六月祓い」「荒和(あらにご)の祓い」

「夏越節供」「輪越祭り」とも呼んだりします。
ナゴシという名称は、神様の気持ちを和らげるという意味の「和し」からきていると言われています。


お話歳時記 より転載させていただきました。


つまり大晦日クラスの日なんですよ。


私は神社が好きです。

理由は多々あるのですが、その中でもメインな理由としては

「その土地に住んでいる方々が大切にしていた」

ということでしょうか。


かつて人々は神社で五穀豊穣を祈り、村の安寧を祈りました。

そこには自然崇拝の信仰があったんだと思います。


この自然崇拝の思想こそ日本人の背骨だと思っています。

日本人は無宗教とよく言われますが、この自然崇拝こそ

立派な宗教、いや宗教観だと思います。


古来より日本には四季があり、そして天災もありました。

そんな国で農耕を行う民族が自然を畏れ、

崇拝の対象にしてきたことは当然のことと思います。


そんな自然環境で生きてきたからこそ、

互いに助け合う国民となったのだと思います。


「お天道様は見ているぞ」

そんな言葉で悪行を戒めるというは、

新旧聖書やコーランに匹敵する道徳規範だと思います。


ところが、昭和20年を境に神道は軽んじられるようになりました。

「天皇を神とする国家神道はNOナノデース」by GHQ

ということです。


昭和天皇は「我は神」などという発言はされていません。


天皇を神として軍部・国民が崇めたのはごくごく一時期です。

戦争中に国威を高揚するのは全世界共通のことですし、

それが天皇陛下を中心としてまとまっている国家であれば、

全く当然の事です。


昭和天皇を神として見ていた人はごく一部ですし、

その時期も終戦間際です。


結局、少国民世代<昭和10年代生まれ>が

最もこの影響を受け、戦後ギャーギャー言ってきたんス。

気持ちは分からんでもないが、左翼どもを育成・支援するわ

国家・国旗否定まで行きやがるのでやはり害悪としか思えん


だから神道はイカンとGHQは言ったのです。

(もちろん天皇を中心とする日本人の結束力を恐れたのですが)

んで、敗戦によるショックドクトリンで国民はそれを受け入れました。


なんちゅーことでしょ。

日本人は古代より自然崇拝を行い、神様を奉ってきました。

その歴史は記録にある「大宝律令」を基準にとっても1300年の歴史を持っています。


終戦間際の数年と一部のギャーギャー世代のせいで、

(軽く見積もっても)1300年の歴史を軽んじたわけです。

全くもって馬鹿な話しです。


神社というのは、その地域地域に住む人々の国・郷土を思う気持ちの証です。

だから、戦争等国家の為に亡くなられた英霊の御霊も奉られているのです。

そこに手を合わせることで日本人の背骨はシャキンとするのです。


「長い時を超えて残っているものは本当に素晴らしい」

「そして日本には誇るべき歴史と伝統がある」

ということを今一度再確認したいものです。


今日のボウズさん

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