タイトルはつけられませんでした

長文です。
 
 
 
昨日12/15、父が他界しました。享年74歳。
 
 
 
両親は晩婚で、父が40歳のときに私は生まれました。
育児はほとんどせず母に任せっきりで、おそらく自分の小遣い稼ぎで会社が休みの日まで趣味関連のアルバイトをしていて、本当に働くことしかしなかった人です。
365日、基本的に夜しか家にいませんでした。
 
趣味はお酒、タバコ、ゴルフ、パチンコ、カメラ
今の時代だったら絶対にモテない趣味。
お母さんよく結婚したな、なんて思います。
 
お酒とタバコだけは亡くなる少し前までやってました。
アル中でニコチン依存だったと思います。
タバコ止めないなら今お腹にいる孫は絶対に抱かせないと思っていました。
 
母にお酒とタバコのことで注意されるとキレて、大声出したり物を投げたり当たったりする最悪の父親でした。
 
妹もいますが当然私たちは懐くわけもなく。
そのまま大人になり、二人とも父のことは好きじゃないと思っていました。早くいなくなれとも思っていました。
 
感謝してることは、この世に生を受けたこと、大学まで通わせてくれたこと、年に数回国内旅行に連れていってもらったことでしょうか。あと結婚式に出席してくれたこと。
 
 
父は4~50代の頃胃癌に罹患・手術をし、酒好きなのもあって元々あまり食べない人でした。
それは、約2年前に私が結婚したあたりからだんだん酷くなっているなと感じていました。
 
定年退職をしたあとは、介護施設でパートをしていましたが
仕事がないときは寝ている時間が長くなり、食べることもしなくなっていき、ついに先月に歩けなくなり働けなくなりました。
 
これまで二ヶ所病院に行っても、
栄養不足だからちゃんと食べるように
断酒するように
リハビリ施設に行くように
等と言われるばかりで、治療はしてもらえませんでした。
 
介護認定のため診断書をそれらの二ヶ所の病院に依頼するも、なぜか断られ。
仕方ないので、また別の病院の医師が容態を確認するため実家を訪れたところ、即入院と言われ12/11に入院しました。
どうやら腎臓と肝臓が悪いとのことでした。
 
栄養剤投与等で回復をはかっていくということで、このまま回復してリハビリして歩けるようにはなるのかな?と思っていました。
 
 
それから3日後に容態が急変し、もう手の施しようがないと言われたと連絡がありました。
あまりの急展開にびっくりして悲しくて泣きました。
まだもう少し生きると思ったから。
 
もうすぐ妊娠9ヶ月だけど、すぐ向かいたい衝動に駆られる。
母には来るなと言われましたが、念のため病院にも確認。
新幹線に乗って大阪に行くことはおすすめしないと想定どおりの回答。
子供のため泣く泣く諦めました。ああ、妊婦でなければ…
 
一日中そわそわし眠れない夜を過ごし、数時間後の12/15  3:15に亡くなりました。
こんなにすぐ亡くなるなんて…
眠るように逝ったと聞きました。
 
私は早朝に、父の棺にいれてもらうための手紙を書きました。
最後に顔も見れず、言葉も交わせず。そんなの納得できない。
一枚の便箋に想いを綴りました。
あの世で楽しく過ごしてほしい。
 
 
本日、告別式に主人には参列してもらい、無事に終わったと報告がありました。
 
あんなに好きではなかった父でも亡くなると、泣くんですね。悲しいんですね。
妹も同じでした。
亡くなると良い想い出しか思い出せなくなるって本当だなと思いました。
今だったら孫を抱かせてあげたいと感じます。
あと少し待って欲しかった。
2年前に義父を亡くし、お腹の子のおじいちゃんはお父さんしかいなかったのに。この子のおじいちゃんはいなくなってしまった。
 
 
親はいつまでも生きていない
本当、親孝行大事だなぁと改めて感じました。