映画を見てもうひとつ思ったこと。

…印象的な映画に出会うと、その場面場面を反芻する。
そうすると、最初見えてなかったことが見えてきたり。
時間を置くともっといいのかも。
もう一度観るのもいいのかも。

(「ラ・マン/愛人」は、何故か3回くらい観た。
何がよかったのか…なんてね。
何がよかったのかはよくわかってる)



わたしは「ファム・ファタール」
…いわゆる「運命の女」的な人物の出てくる映画が好きなのだけど、
そういう人物はまあ、すべからく美形で、
なので、自分とは対極にあると思っていた。

しかし、最近思うに、美貌の女だけが
ファム・ファタールたりえるわけではなく、
もしも、とある女に魅了された男が居るとして、
それはその女性の美貌だけに目が行っているわけではなく、
その男にだけ感じる、どうしようもなく魅かれる部分でもって、
その男のファム・ファタールだったりするのではないか、と。

映画や、一般の表現作品では、
それを受け取る相手にも共感されやすいという必要性もあって、
登場人物は美貌に設定されているのだよね。
そういう女が取りあいされる、というシチュエーションもあるしね。
もちろん、どんなファム・ファタールも、美貌に近しい女であろうことは
誰も反対しないと思うけど。

万人受けする美女でなくてもいいのかも…。
(内田有紀は美女だが!美女なんだが!)


でも、その女の美点を見つめる男のまなざしは、確実に女を磨く。
無意識であっても、女は磨かれていく。

わからないものね。
自分じゃ。
他者を引き付けることができる要素も、
或いは自分ではイヤだと思うところだったり。

だけど、わたしは素直になったかもしれない。
意外なこと言われても、あんまり反発しなくなった。
あ、そうなのか、と、不思議に目が開かれる感じにも似て。

(さすがに頓珍漢なこと言われたら、慈悲の笑みで誤解されておく!)
(トシ取るのも悪くないのよ!余裕ができるの!)
(好きなように思っていればいいわ、なんてね。うふ、冷たいね)
(誰にもかれにも優しくするわけないでしょ!)


これって、男相手にも言えるのかな。
わたしが見つめることで、わたしはその男を磨けるのかな。

わたしこそ頓珍漢なところを見ているのかもしれないけど。
自分に都合のいいところを、自分の都合のいい美点として。

それでも。
それでも。

エロスは関わり合うことで複雑に響き合う。

そうじゃないのかしら。

そこに介在する、まなざし。




それにしても内田有紀はよかったー。
あのろくでもなさ。
官能に真っ正直。

もちろんあれは
「それ以外の何かを知らないから」
に他ならない彼女の悲劇の一端なのだと思うけど。

内田有紀でなくても、真っ正直にはなれるさ。

それにしても、それにしたって、それはさておいて
……わかりやすい美貌になりたいものでございます。
結論そこかよ!
今まで言ったこと、なんだったんだよ!



どうか魅力をください。

見つめれば凍りつくほど。

YeahYeahYeah!