「お前が悪く思われないようにやったんだよ?」


食品ストックを、わたしの知らない間に収納庫にぎゅうづめしてくれた夫のおっしゃったおことば。

ちらかってたら、また何か言われる、と思ってのことだろう。

わからない秩序でいれられてしまったので、ちょっと不快な表情になったらすかさずこのように言われました。


お気遣い恐れ入ります。




ユダヤ人に「お前がつかまらないようにかくまってやったんだよ?」とドイツ人が。

いじめられている子に「お前が悪く言われないように、成績をよくつけてやったんだよ?」と先生が。


わたしがユダヤ人なら、「そんなことより、差別や虐殺そのものをなくしてくれ」と思うかもしれない。

わたしがいじめられる子なら、「そんなことより『いじめ』をなくしてくれ」と思うかもしれない。


わたしは、「それなら、普通にしていて嫌味を言われるこの状況をなんとかしてくれ」と思った。


普通にしていて(それはもちろん、人間だから落ち度もあるというレベルでだ)文句言われるって、

それは状況のほうがおかしいじゃないか?


状況の異様さを追認する行為をする夫に、不快感。


愛は削がれていく。

それがわたしには自然だ。