本当は昨日投函する予定だった履歴書、只今投函。
火曜日に出した履歴書についての連絡は、まだない。
そんなこんなの合間に、やはり求人情報をあれこれ見ている。
動かない状況に、焦れている自分がわかる。
39歳、未経験という条件もさることながら、
「就業時間がもう30分遅ければ」
「就業時間がもう30分早ければ」
なんて思っちゃう求人も、ある(採用されるかどうかは別として)。
それは仕方が無いことだ。
わたしは、この、適度に郊外の、
小学校の教室にオニヤンマが飛び込んできちゃうような
そんな環境で子どもを育てたいと思ったのだから。
何かを選んだら、何かを捨てねばならない。
それは、当然のことだね。
そして、「さることながら」とはいいつつ、
求人の「35歳まで」という言葉に
がっくしきているわたしもいるわけで。
35歳の頃ったら、下の子5歳でんがな。
幼稚園年長さんでんがな。
2時におうちに帰ってきちゃいまんがな。
水曜日は半ドンでんがな。
休みだ付き添い遠足だ行事だなんだかんだ。
仕事を探そうって気にもなりゃしねぇ。
さりとて保育園なんて、空きがないよ?
あれだね、さっさと結婚して、20代前半で子どもを産みおえて、
35歳までに職業人生に再出発するか、
逆にたっぷりキャリアと実績と資格を取っておいて、
ゆっくり子どもを産んだって、さくさく現場復帰ができるようにする、
そんなふうな人生設計しなきゃ、両立しない仕事人生もあるわね。
てか、どっちにせよ、相手のあることだからそう思うようにいかないわけで。
もちろん、そんなふうな人生設計したって、思うようにはいかないわけで。
そういう、思うようにいかない状況、
そしてそれは得てして「本人の損になるかたちで思うようにいかない」状況が
多発しやがるから、やはり女は子どもを生むことが、ある意味リスキーになっちまうんだろうな。
あたしは、自分の子どもがだだだだだだだだ~~~~~~~い好きなので、
子どもを持ったことについてはなんの後悔もないけれども。
あれだ。
机について文書と向き合ってるのが好きで、そっちに適性があったからこそ
おベンキョができて、大学ってところにも行ったわけで、
仕事の貴賎とかそんなこと以前に、
できればお惣菜つくりとか、青果の品だしよりは、
机についたりしてることをしてたい。
てか、そっちの方に適性があるわけね。多分。
ところが、それがトシで区切られてんのは痛いなぁ。
で、もしもトシ&未経験問題をクリアして仕事につけたとしても、
パート労働者は、正社員様よりずっとずっと時給が低い。
(仕事についてもいないのに、何言ってんの、とも思うけどね)
(何年かやってたら、きっと思うんじゃないかな、こゆこと)
この国は、資本主義で、経済力が権力だ。
いや、この国に限ったことじゃない。
かわいい子どもを持つことを選択したわたし・・・と夫なんだけど、
わたしだけ一方的にこの社会の権力を剥奪された気はするね。
その点、逆に夫に、
「あたしが後方支援に回ってるから、あなたが一人前の働きができるのよ」
って言ってやれるのかもしれないけど、
権力は持ってるひとにとっては空気みたいなものだろうから、
きっと彼には通じない・・・かな。
そしてその言い草は、彼の家庭内での権力を空洞化することでもあるから、
きっと夫は認めたくはないのではないか、と推察する。
だったらなんで働くんだ?
おうちで奥様してれば、そんなにいろいろ気づいてしまわないで済むんじゃない?
なんてね。
仕事を探すことは、わくわくする。
この先になにがあるんだろう、と、思う。
あたしは未経験だから
(だけど若い頃にはなかった寛容さや忍耐力みたいなものが
今のわたしにはある。これは嬉しいことだ。年取ってよかったですよ)
(それと、中途半端ではあるんだけど、市民活動歴ってやつをまとめてみたら、
結構フレキシブルな自分が見えてきた)
(いや、市民活動、極めてしまったら、なかなかこっちには戻ってこれないよw)、
ナニができるようになるだろう、ナニをクリアすることになるんだろう、と
経験することで見えてくることがナニにせよ楽しみだ。
家の中のことをこちょこちょやってるのも悪くないんだけど、
こうしてみると、風通しの悪さを感じないわけにいかないんだ。
それから。
さっき、経済力は権力だ、と書いた。
こういう考え方は、それを信じている場合にしか通用しないけど。
「あなたはうちの中で、誰にもできない大事な仕事をしているのよ」
そういう言われ方は、多分間違いではない。
しかし、そこには、資本主義の価値観はなく、この言葉を信じようとすると、
無理やり資本主義的価値観から意識をねじまげなきゃならない気持ち悪さを感じる。
残念ながら、ここでいう「大事な仕事」への付加価値は、
この社会では、乏しい。
(それがいいかどうかは別として。
資本主義的価値観の下で、ようやくわたしたちは血統主義的権力社会から
逃れることができた、とも言えるわけで)
そういうことをひしひしと感じてしまうからこそ、
消費オンリーの人間でなくなりたい、と思ったのだ。
社会的な理由で働く、なんてあんまり聞かないけど、
それは多分、その人の中で言語化されてないだけだと思うんだ。
そして、社会的な理由ってのも、当然個人の個人的理由とリンクしてるものだから。
まず、個人的理由が表面化するよね。
(あたしの個人的理由?介護にお金がかかりそう、という恐怖を感じてるからよ!)
(教育にもよ!)
(老後だって、ムスコに頼ってられなくなるわ!
ムスコが将来格差社会の上部にいるって保証ないじゃん?)
ま、あれだね。
チャレンジチャレンジ。
冒険だなw アタック!!!www