そして生き返ってしまったことは、前にも少し書いたけれども。


ある日あるとき、わたしは依存していた恋愛から手を切り、

そうしたら、まるで天から降ってきたように、今一緒に暮らしているだーりんと出会う。

一緒にいるのが楽だった。

なんのふりもしなくてよかったし、なんのふりも要求されていない、と感じた。


そして、数ヵ月後、わたしはだーりんと結婚する。


結婚したらば・・・、次にわたしががんじがらめになったのは、「妻役割」「母役割」。

母は、ひとかどの人物になれ、とわたしに言っていたはずなのに、

あっさりと「妻として夫を支え」かつ「経済的にいずれ有能になれ」というメッセージを

送り続けてくる。だーりんは・・・まぁ、ありきたりの男女観を持っていて、それはいわゆる

ジェンダーバイアスってやつにまみれていたので、放し飼い的ではあったけれども

やはり息苦しくはあった。


ただし、これにはわたしのほうにも問題があって、わたしには、夢なんてなかったし、

こう生きる、なんてビジョンもなかった。それじゃ、役割通りに生きるしかないよね。


ただ、それはおそろしく息苦しく、わたしはまた、「母の承認」という甘いお菓子を

口にしたくなる。それはもちろん「母からの支配」とのセットメニューだ。

なにかと母に相談と言う名の報告をするわたし。叱責を受け、コントロール

されることで、見捨てられていないと感じるわたし。母も、そんなわたしをこそ可愛いといい、

承認を求めなかった場合、なじったり、不安定になったふりをした。


共依存。


それを断ち切ることができたのは、学習と、物理的な距離だった。

だーりんの転勤で、遠い遠い北の町へ。今まで住んでいた街は、新幹線で故郷と

まっすぐつながっていた。今いるここもつながってはいるけど、おいそれと行き来できる

距離ではない。


わたしは、本当に、ほっとしたのだ。

母は、追ってこない。

間違っても、叩きにこない。

耳も、口も、ひねりあげられることはない。


・・・そして、わたしはもう一度改めて、「回復するために」病み、その回復の過程で、

母からの承認の欲求を、血まみれになりながら断ち切った。・・・と思う。


それは同時に、母の幻影からの脱出であり、他者から見捨てられる恐怖からの脱出で

あったのだと、今なら思える。


そして、わたしはわたしになろうと、・・・意識しているうちはきっとまだだめだったんだな、

そんなこと忘れている今、ようやく、あたしはあたしだ。


ここから、わたしの道がはじまるのだろうか。


そんでもって、その過程を、ただ見守ってくれていただーりんに、感謝。

わたしはあなたと離れても生きていけるようになりましたが、あなたと共に生きていたい。

依存でなく、共存したい。

あなたもそう思ってくれている間は、ずっと、一緒にいましょう。

できれば、どちらかが死ぬまで。