残虐なものに、こころ惹かれる時期があった。
それは、まだわたしが小さい頃からのことで、宗教画などに描かれる、
肉体的に苦しむ者の姿や、戦争や暴力の物語に表れる犠牲者の姿に、
わたしは惹かれて止まないのだった。
「わたし、なにかおかしいのかもしれない。」
そう思いながらも。
今にして思えば、わたしはその小さい頃には、しょっちゅう暴力を受け、
毎日のように痛みで泣くような日々だったから、
そして、それは前触れなく訪れて、小さいわたしの感情をも痛めつけていたから、
わたしはその表現作品のなかに表れる犠牲者が、芸術的表現で美を冠して描かれていたことに
自分自身を投影して、自分の存在価値を模索しようとしていたのかもしれない。
或いは、今その作品に向き合っているその瞬間、痛みを覚えているのは自分ではなく、
その表現された作品のなかの者であることに、自分の安心を見出していたのかもしれない。
さらにまた、残虐な映像や表現は、きっとわたしの脳からなにがしか
特別の脳内物質を分泌させるような特別な刺激をわたしに与えていただろうから、
そこにわたしは一種の嗜癖を見出していたのかもしれない。
今、わたしはここにいることを肯定できるから、
もう、残虐なものを必要とはしていないようだ。
むしろ、暴力的なものには嫌悪を感じることができる。
なんて健康的なことではないかしら?!