アロマウォーマーで、オイルを温める。
一番好きな香り、ローズウッド。
ウッディでほんのり甘く、しかもどこかスパイシー。
 

このオイルの取れる木はブラジル産で、でも乱獲で数が少なくなっていて、絶滅の危機にあるんだそうだ。この木を一本切るたびに、もう一本植樹することが法律で定められているという、そんな木。知らずにオイルを買ったんだけど、なんか悪いことしてしまったみたい。せっかくだから大事に使うけれど、なくなっても買い足さない、残念だけど。わたしはそんな贅沢ができる立場にはないと思うから。

わたしたちは熱帯産のコーヒーを楽しみ、紅茶を楽しみ、バナナを食べ、チョコレートを味わい、それも比較的安価で味わい、そして世界中の様々なものを軽々と手にする。せいぜい街の端の雑貨屋さんに足を運ぶ、インターネットで探す、くらいの手間で。

たまたま、貨幣価値の高い、資本力豊かな日本という国に生まれたがために、こうもやすやすと許される贅沢。

こんなことを考えながら、でも、わたしは今の生活をやめないだろう。コーヒーのお代わりを注ぎ、ローズウッドがだめなら、モロッコの薔薇のはなびらのお茶を入れたりして、フランスのラベンダーを香らせたりして、そんなこんなで快適な生活を続けるだろう。

だけど、そのものの運ばれてきた経緯にすこしだけ想像力を働かせて、せめてフェアトレードの商品を買おうとか、高くても無農薬の紅茶を選ぼうとか(もちろん農薬はそこで働く者の健康に影響を及ぼすからだ)、そういう、ささいな、ほんのささいなことを、当たり前にする努力をしていたい。

それをする努力のためにわたしが仕事を(それはきっとパートタイマーと呼ばれる時給××円の仕事であろうけれど)はじめたとしたら、その時うちの家族、いや、もっとも弱い子どもどもに負担がいかないだろうか。それを考えて踏み出せないわたしは、踏み出せないままで「より搾取の少ない購買努力」ができる、「恵まれたヒト」なんだろうか。

理想を語ると、「いいわねぇ、そんなことができて」という反応を予想できてしまう。これはわたしが卑屈なのか。それともそういう反応が反射的にでてくる者の方が、他者に痛みを押し付けたいほどの軋みに日々耐えているのか?

わたしが向き合うべきものは、一体なんなのだろう。

追記:この上の「わたしが向き合うべきものは一体なんだ」という一文ですが、当然家族持ちで母やってる以上、家族、ことに子どもへの様々な意味合いでのケアは当然と思うておりますです。ここで「向き合う」べきではないか、とわたしが自分に問うておりますのは、
1.搾取が当然のようになっている経済
2.自分の物欲
3.外で働いても、うちのことが軽々できる・・・わけではなさそうな自分の体力
4.立場の違いによる女同士の軋轢
5.4を生んでいる社会構造
6.4を気に病んでしまう自分のこころ
の、どれであろうか、ということなのかなぁ、と今考え直しながら。