ずっと、間違っちゃいけないと思っていた。
笑われる?叱られる?誰かに迷惑かける?
それは確かにそうなんだけど。
そういうことに既にがんじがらめになっていた12歳の春、わたしは英語が苦手になった。
自分で何度も発音しなきゃ、覚えられない。発音をマスターすることなんてできない。
なのに、LL教室のヘッドホンから聞こえる自分の声は「間違ってる」。
それだけじゃなく、何が正しいのかわからない。
声の高さ低さ、ことばのスピード、自分が口にすることはすべてそのお手本のテープの
言葉とは大違い。「間違ってる」。
わたしは英語の発音ができなくなった。
クラスで発表することができなくて、みんなに笑われた。馬鹿にされた。
やっぱり「間違ってる」から、笑われるんだ、と、思い込んだ。
今でも英語に自信はぜんぜんない。
最初から間違わずに済んでいた小学生の頃。
それは、たまたまそうだったり、できないものとしてチャレンジすらしてなかったり、
・・・ああ、そうだ。「間違ってる」と叱責されて、それで「終わり」にされていただけのこと。
「間違い」からいろんなことが出発することを、わたしは知らなかった。
練習とか努力とか、する前は誰もゼロの状態なんだ、そこからはじめるんだ、と
気がついたのはいつだったろう。
結婚して、夫の後を追っかけるみたいにスペイン語をかじり始めて、
でも、超上級者の夫に笑われるのが怖くって、彼の前で学習できなかった。
それだけじゃない。どんなチャレンジも、思いついたはいいけれども、もがいている姿を
さらすことができなくって、それは自分自身にすらさらすことができなくって。
わたしはからっぽのままだった。
努力をせず、間違っちゃいけない、間違っちゃいけない、と去勢だけ張って。
彼は笑わなかったよ。
堂々と間違えてよかったんだよ。
何度も間違えたら、そりゃ恥ずかしいけど、しかたないんだよ。
それでも、大事なことは、間違わないことじゃなくって、その先にあるようなんだ。
いつ気がついたんだろう。
今朝も、その前も、きっと明日の朝も、これからも、
大きな声で、間違えながら、スペイン語のおけいこをする。
「間違えないこと」なんかよりも、間違えて間違えてその先にあるものを、ようやく見つけに行く。