今日は車の中で、森山直太朗さんの『夏の終わり』を聞いていた。

蒸し暑い日が続いているが、日没は早まっていて、

着実な夏の終わりを感じている。ふと寂しさを感じる。


Mの雑記

(8月中旬のひまわり)


ipodのプレイリストに、前から「September」フォルダを作っている。

9月(8月の終わり)にちなんだ曲で好きな曲は多い

夏の終わりを惜しむ気持ちは誰にでもあるものだ。


R.E.Mの「Nightswimming」、そしてオフコースの「I Love You」(両方古い・笑)

それぞれ『September's coming soon』、『9月になれば…』というフレーズがある。

松任谷由美にも、杏里にも、Aikoにも、(一風堂というのもあった。)

"September"を含んだタイトルの曲はまだまだある


きっと9月は、暑かった季節の中で自然と暑かった自分を、

期待していたほどでもなかった夏を惜しむ、

そして落ち着いた秋を期待する、せつない、心に染みる月なのだろう。


こころに染みるような8月の終わりにしよう。







夏は確実にやってきて、確実に過ぎていく。

通り過ぎる町並みに、通り過ぎる多くの人々

しかしすべてが景色でしかない。

なぜなら、他の人にとって私は景色の一部でしかないから。


暑い夏を一人で過ごしている。

これからの日々をどう過ごすべきか考えながら。

人生の前半はモラトリアムと自覚し、

そして気づくと望みと宝のない人生のみが残っている。


これからどのように毎日を過ごし、

どうすれば満足した毎日を送れるのかわからない。

遠くにある絶望のことを心に秘め、

今の自分を本当に幸せに出来るのか……


むせ返る暑さの中、祈りの中の夏が過ぎていく。

夏は希望に満ちていた青春の幻影を抱き、

心に絶望を背負ったまま、粛々と歩みを続ける。

まるでひとりの修羅のように…


巨大な鳥居がそびえ立つ蝉時雨

多くの祈りであふれかえる境内

たくさんの仏像と、心に重みを残す独鈷

目を乾かす熱い風



夜の町を歩いても、酒を流し込んでも癒えることがない。

自暴自棄になっても救ってくれる人はない。

満たされない、やりきれない気持ちを抱えたまま、

どうしようもない自分はひたすら、耐えている。


Mの雑記


最近思うのだが、感動が薄れてきてる。

それは年を積み重ねてきたせいかもしれない。


以前は感動し、涙を浮かべることが結構あった。

しかし最近、周囲の感動について行けない、とまどいの自分がいる。


それはまず自分の思う通りに事が運んでないからだろう。


ある日、自分の目指すところは中国の故事にある

『鶏口となるも牛後となるなかれ』だと気がついた。

自分は結構先頭に立ちたいタイプで、

人の後についていくのはかなりイヤな気持ちを持つ。


そして一番納得いかないことは、

自分の見方と対処が実情にあわず、あと一歩のことが多いこと。

謙虚さを失っていることが原因だと感じている。


さらに今は堪え忍ぶときなのかもしれない。


感動できることを探したい。

覚めてきている自分に潤いをもたらしたい。

演技でない、本心からの感動を、得たい。