遠江国説話集248~井戸端の捨児(浜松市北区引佐町)。
井戸端の捨児
一条天皇の御代というから、今から凡そ千年年余年の昔である。
都では藤原一門が、栄華の限りをつくしているという、寛弘七年(1011)一月元旦のことである。
井伊谷八幡神社の神主が、鶏鳴と共に起き出て、静かに神前にぬかづき、暁明を望みながら、神社の石段を下りて来た。元朝の清澄な空気を胸一杯にすった彼は
「今年も、よい年であるよう」
と、ほのぼのとしてつぶやいた時、何処からか赤児の泣く声が聞こえてきた。
「おお、元日の朝生まれる。めでたいな」
静かな空気を破って聞こえる元気な声に、彼もまた嬉しくなって
「はて、何処の家だろう」
と、声を便りに訪ねてみた。
と、それは神社の前の、御手洗の井戸の傍であった。
井戸の傍に、錦の産衣に包まれた、生まれたばかりの赤児が捨ててあるのであった。
「捨児か、可哀想に」
神主は驚いて拾い上げ、傍の地蔵寺(後の竜潭寺)に行って、湯を浴びせ、粥を飲ませなどした。
見るとその赤児は、実に清らかな顔だち、悧怜そうな眼、このあたりの子とは見えない美しい顔をして、丸々と太っていた。
「こんないい子を捨てるとは、何か事情のあることであろうが、しかし元日の朝の拾い物としては、まことに芽出度いことだ」
神主は喜んで抱いて帰って来た。そして親切に養育をしていた。
それからやがて、七年の月日が流れた。
その頃、遠江の国司の藤原共資は、村櫛の郷に館を構えていた。国司はある日、国内を巡視して、井伊谷の村に来、八幡神社に参拝した後、神主の家に立ち寄った。
国司は神主とよもやま話をしている時、ふと庭に遊んでいる子供の顔を見た。
「おお、あの子供は・・・」
国司はその子の容貌の、あまりにも美しく品があり、衆に優れているのを見ると、思わず声を出したのだった。そして
「あの子は、あなたの子で・・・」
と聞いた。
「いえ、実は拾った子でございます」
「拾った?」
「はい、七年前の元旦の朝、神社の御手洗の井戸の前で・・・」
「そうか、そうか、それはきっと、私に神様が賜ったに違いない」
国司は、顔中を笑顔にして、急に喜び出した。
「私は年来、男の子を生みたいと八幡の神に祈願していたのだが、いつも女の子ばかりで悲観していたのだ。元日の朝、八幡の神が井戸の傍らに下されたとは、実に瑞兆である。是非とも私に下さらぬか、私の子として、跡目を相続させたいのじゃ」
神主に何の異存があろう。これは子供にとっても、意外の出世だ。
「畏まりました。何卒、お連れ下さりませ」
「承知してくれたか。では早速に」
国司は嬉しかった。年来の思いがかなって、天にも昇るとは、この時であろう。彼は早速にその子を連れて、村櫛の館に帰ってきた。
「芽出度い事だ」
国司夫婦は喜んで、我が子として養育した。十五歳になった時、元服させ、やがて国司の長女と結婚させた。そして名を藤原共保と改め、父の後を継いだ。
共保は武勇絶倫、器量は集を超えて、国司としての実績は大いに挙った。
その後は」、従五位備中守遠江国司として、自分の出生地・井伊谷に城を構えて、これに移って来た。そして、姓は地名を取って、井伊氏を名乗ることにしたのである。
これが井伊氏の祖である。だから、井伊家では、陣幕の紋には井を使い、衣服の紋には、井戸の傍に橘の木があったことから、橘を使ったという。
また、その元旦の朝、共保が産湯を使った地蔵寺は、後に万松山竜潭寺と改めて、井伊家代々の菩提寺としたのである。
(遠州伝説集)
註:井戸は現在も竜潭寺近くに現存します。『静岡県姓氏家系大辞典』(角川書店)、『角川日本地名大辞典 22静岡県』(角川書店)において、引佐町の項目は本文と同様の説を挙げていますが、この伝説は事実と虚構(国司任官に藤原共資の名はない)が混同されてしまっているので、あくまでも一説としてお考え下さい。
『徒然草』~第百九段。
第百九段
高名の木のぼりといひしをのこ、人をおきてて、高き木にのぼせて梢を切らせしに、いとあやふく見えしほどはいふこともなくて、おるるときに、軒長ばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛びおるるともおりなむ。如何にかくいふぞ」と申し侍りしかば、「そのことに候。目くるめき、枝あやふき程は、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ず仕ることに候」といふ。
あやしき下臈なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠も、かたき所を蹴出してのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらむ。
現代語訳
第百九段
有名な木登りといわれた男が、人を指図して高い木に登らせ、梢を伐らせたときに、ずいぶん危なそうに見えるときは何も言わないで、下りるときに軒の高さくらいになったとき、「過ちをするな。気をつけておりろ」と声をかけましたので、「これくらいの高さになったら、飛び下りても下りられるだろう。どうしてこんなことを言うのか」と申したところ、「そのことでございます。目が回って、枝が折れそうで危ない間は、恐ろしくて自分で気をつけますから、こちらからは何も申しません。過ちは何でもない所になって、必ずいたすことでございます」と言う。
卑しい身分の人だけれども、その言葉は聖人の戒めにもかなっている。蹴鞠でも、難しいところを(うまく)蹴り出して、何でもないと思うと、必ずやり損なって落としてしまうと申すようです。
解説:身分は低いが高名な木登りの経験に基づいた実証論を作者は高く評価しています。
加えて、この木登りの言葉が、聖人のいましめにかなへりと述べているように、(木登りが知るはずもない)『易経』の一文「君子ハ、安ケレドモ危キヲ忘レズ、存スレドモ亡ビンコトヲ忘レズ、治マレドモ乱レンコトヲ忘レズ、ココヲ以テ身安クシテ国家保ツベキナリ」と一致していたことに、専門家の偉大さを賞賛しています。
個人的経験則に照らし合わせると、危険な仕事も馴れてしまうと注意も散漫になりますから、馴れた時ほど落とし穴が待っていると、常に心掛けることも大事ですね。
本文及び現代語訳・解説の参考文献
『改訂 徒然草』(今泉 忠義 角川書店)
『日本古典文学全集 44』(小学館)
『現代語訳対照 徒然草』(安良岡 康作 旺文社)
『文法全解 徒然草』(小出 光 旺文社)
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遠江国説話集247~大沼(浜松市天竜区佐久間町)。
野田の大沼という所は、昔は大きな沼で、そこには大蛇が棲んでいたと伝えられる。
それで、そこを通りかかる前には、草鞋の紐を締め直して、急ぎ足で通らなければならなかった。今でも、その草鞋の紐を締め直した所は、「くつうち場」として伝えられている。そのうえ、その池に影を映さないために、朝は西の方を、夕方は東の方を通った。
ある時、そんな事は何も知らない法印が、女の子に赤い着物を着せ、疲れた足を引きずりながら、夕方に西の方を通りかかった。
夕日に照らされて、二人の影は長く池の面に映り、女の子の赤い着物は特によく池に映った。待ち構えていた大蛇は、大きな口を開けて子供を一飲みにしてしまった。
法印は怒って、さっそく針を買ってきて沼にふりまき、七日間一所に籠って、大蛇が死ぬように祈った(そこは今も、「こもりのほつ」として伝わっている)。
すると、大蛇は耐えられなくなって、黒煙をあげながら沼を逃げ出した。それと共に、沼に並々とたまっていた水は急に引いてしまった。そして、今の「大野間」がそ こに出来たのだという。その大蛇の逃げ出した所は「たぎり沢」として今に伝わり、僅かに水が流れ、昔の沼の底とおぼしき付近は、今は田になっているが、非常に深く、股の辺りまでも入る。あまり深くて人の入れない所は、仕切りをして、池として入ることを禁じてある。
(静岡県伝説昔話集)
『徒然草』~第百八段。
第百八段
寸陰をしむ人なし。これよく知れるか、おろかなるか。おろかにして怠る人のためにいはば、一銭軽しといへども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば商人の一銭ををしむ心切なり。刹那覚えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期惚にいたる。
されば道人は、遠く月日を惜しむべからず、ただ今の一念、空しく過ぐることををしむべし。もし人来りて、わが命、あすは必ず失はるべしと告げしらせたらむに、けふの暮るるあひだ、何事をか頼み、何事をかいとなまむ。我等が生けるけふの日、なんぞその時節にことならむ。一日のうちに、飲食、便利、睡眠、言語、行歩、やむ事をえずして多くの時を失ふ。そのあまりの暇幾ばくならぬうちに、無益のことをなし、無益のことをいひ、無益のことを思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亙りて一生を送る、最もおろかなり。
謝霊運は法華の筆受なりしかども、心常に風雲の思を観ぜしかば、慧遠白蓮の交を許さざりけき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何かのためにか惜むとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人は止み、修せむ人は修せよとなり。
現代語訳
第百八段
わずかな時間を惜しがる人はいない。これは惜しむ必要のない道理をよく知っているからそうなのか。あるいは愚かであるためなのか。愚かで怠ける人のために言ってみるなら、一銭はわずかではあるが、これを積み重ねると、貧しい人を金持ちにする。だから商人が一銭でも惜しむ気持は切実である。(同様に)一瞬という短い時間は、意識されなくても、これが止むときもなく経過すると、命の終える時はたちまちにやって来る。
だから仏道の修行者は、遠い先々の月日を惜しむことはしてはならない。現在の一瞬が無駄に過ぎることを惜しまねばならない。もし人がやって来て、お前の命は明日必ずなくなるだろうと告げ知らされたとしたら、今日の日が暮れる間、何を頼み、何事をするだろうか。我々の生きている今日の日が、(明日は必ず死ぬと言われた)その時と、どうして違いがあるだろうか。一日のうちに、飲食、便通、睡眠、会話、歩行など、やむを得ないことで多くの時間をなくしている。その残りの時間は、いくらでもない、その間に、無益なことをし、無益なことを言い、無益なことを思い考えて時間を過すだけでなく、一日一日を無駄に費やし、一日からさらに一月にわたって無駄に費やし、結局、(そうして)一生 を送るのは、最も愚かなことである。
謝霊運は、『法華経』の翻訳を筆録した人であったけれども、心はいつも風雲を得て出世しようとする念願をもっていたので、慧遠は(彼に)白蓮社の交わりを許さなかった。しばらくの間でも、時間を惜しむ気持ちないのは、死者と同じことである。それでは何のために時間を惜しむかといえば、内心にはつまらないことに心を使うこともなく、外部の俗事にかかわたず、あるいは止観工夫をし、あるいは、仏道修行をする人は
、より修行に励めというわけである。
解説:仏道修行に対する教訓を、第九十二段を第九十三段を踏まえて、この段ではより積極的に述べています。ただし、人生訓と捉えて問題ないでしょう。あいかわらず私は、アップしながら心が痛い思いがします。
特に、一銭軽しといへども、これをかさぬれば、貧しき人富める人なすは、分かってるいるけど、ついつい忘れてしまいがちになります。お金に例えていますが、失った時間は帰ってきませんね。
文中の謝霊雲は、中国南北朝時代の詩人で、太守となりますが、乱を起こして433年刑死しています。慧遠は恵遠と書きます。その慧遠が中心とする宗教結社が白蓮社になります。
本文及び現代語訳・解説の参考文献
『改訂 徒然草』(今泉 忠義 角川書店)
『日本古典文学全集 44』(小学館)
『現代語訳対照 徒然草』(安良岡 康作 旺文社)
遠江国説話集246~辻井戸(牧之原市相良町)。
この井戸は、どんなに日照りが激しくても水がきれるような事はない。
昔、年をとった一人ぼっちの哀れなお婆さんが井戸の近くに住んでいた。
毎日毎日寂しい日を送っていたが、いつしか一匹の狐と大変仲良くなり、寂しかった日も楽しく過ごす事が出来るようになった。
ところが、年寄りの事とて、お婆さんは不意に病気にかかってしまった。さすがに仲良しの狐も、どうしたらよいかまったく面くらってしまった。
すると、お婆さんは
「すまないが、辻井戸の水をくんで来ておくれ」
と狐に頼んだ。
狐は早速井戸へ行って水をくんで来てやると、お婆さんはそれはお前の小便だろうと言って飲まなかった。
そこで、狐は、いえ決してそんなことはありませんと何度も何度も答えたので、お婆さんもやって安心して、その水を飲んだ。
すると不思議にも、お婆さんの病は治ってしまったという。
(静岡県伝説昔話集)