こんにちわ。
つづろうと思うと考えすぎて何もできずに時間だけが経ちました。
そもそも、このブログも、吐口というか心の整理のために書こうと思っていて
どれぐらい更新するかは決めていないのです。
今回はメンタルの話。
今は、弱った状態で書いています。
自分を客観視するということは、どういうことか、過去に考えたことがあります。
ただ、自分を他人が見たら、と考えた時直感ではまず、どうにも「批判されるべき甘ったれ」なのです。
この考え、そもそも根底には親や教師に言われていた「一般論」がベースです。
「ゆとり教育だから、甘えている。」
「今時の子供だから、舐めている。」
この手の発言、言っちゃう大人は大概「ものすごいコンプレックス」を抱えていて、それを弱い立場の人間にぶつけにくるタイプの人。
だから本当は一切取り合わなくていい。
教育もなめた態度も、作ったのは大人の側で、作られた子供には罪はないんだから。
でも、こういう考え方をして許してもらおう、とするところがある。
なぜこういう話をするかというと、
「自分が本当は精神的に参っている」のか、「鬱を気取る痛いやつ」なのか
自分の苦しいをどう周りに伝えるベキか、悩んでいるから。
端的にいうと、仕事をしたくない。ただそれだけだ。
けれど、「仕事の日の朝は、心臓がおかしい、苦しいし起きるのも大変だ。休みの日にはスッキリ目が覚める。心臓も苦しくならない」
というこの状況で
「いやいや、苦しいっていうように自分に言い聞かせてそういうつもりになっているだけでしょう、言い訳したいだけでしょう」
と私が私を責めている
こう書くと、それだけでもう自分はやばいやつだな。と思う。
でも、こういう苦しいを誰かに共有すると、途端にすごく些細な問題で、気の持ちようでなんとでもなるからこそ、自分が自分で病んでいるふりをしているように見えてくる。
これが同僚が同じことを言ってきたら、私は間違いなく休職なり退職を勧めるし、全く鬱なり、病んでいることを疑わない。
それが自分になると途端に、外野から飛んでくるであろう「甘えている」「この程度のことで」を必死に回避しようとする。
実際のところ、私は休職したい。
給料をもらってストレスから離れたい。
けれど、この選択がこと自分に関しては、「ダメなこと」として処理されてしまう。
解放されたいけれど解放の先に待っているのは「また再び仕事を探す」「奇異の目を悟りながら戻る」のどちらかであり、それはそれで反吐が出るほど嫌なのだと。
心療内科に行って判断をもらうことは簡単。けれど、それよりも前の問題。
霧が晴れない日々です。