自分でも消化不能&消化不良なことを書きますが、悪しからず。
今朝もいつものように、私の目覚ましアラームで完璧に起きた息子に起こされて。
リビングのテレビをつけて(ええ、今もリビンクで寝てますよ)、仰天。
緒形拳さんが亡くなっていました。
ごく最近、普通に何かの記者会見で見たような・・・。
驚きのあまり、声を出してしまいました。
やっぱり死って、私にはよくわかりません。
昨日までいた人が、今日はもういない。
もう会えない。
それが「死」なのですが、なんで命は死ぬのだろう。
同じように、生もわかりません。
特に、自分が自分ではない命を体の中で育てる体験をしていると、
余計にわかりません。
偶然のように受精して、うまく育つと母体とは別のヒトとして意志を持ち、動き始める。
それは確かな実感なんだけど、だからこそ、余計に理解不能っていうか。
わかるのは、生きることも死ぬことも偶然のようで、
それは必然だということぐらい。
きっと、ずっとこれからも生と死を完璧に理解できないまま、
私は何度も同じことを考えるんでしょうね。
私は生からが始まり、死がすべての終わりとは思わないのですが、
そういえば最近、意思を表現できるようになってきたリンリンの発言に夫婦で瞠目しました。
というのも、亡くなった私の実母と父の写真をリンリンが無茶苦茶にブッ倒していたので、
「だめだよ、リンリン、このじーちゃんにもばーちゃんにも会ったことあるでしょ?」
と諭したら、
「うんあるよー」
って。ニコニコしていました。
オットと、「やっぱりね」ってことになりましたが、
この時期って生も死も超えた次元で子供って暮らしているみたい。
一緒にいながら親と子は違うものを見ている様な気がします。
でも、ひょっとして、これが一番自然なのかもしれませんね。