最近白い巨塔見まくってたので白い巨塔を振り返った感じで特集します。


白い巨塔、財前教授とその部下たちを纏めてみました。


大学病院の医局というのは各「研究室」、「診療科」、「教室」ごとのグループ組織のことで、大学病院内だけの組織だけでなく、大学病院を頂点として関連病院等も含めた一大グループ組織であることが多い。

研修医は、卒業後、卒業大学、または他の大学の医局に入局する義務はないが、多くの場合、どこかの医局に属する。知識・技術を向上させる上で医局での教育システムが重要であることと、後期研修のできる職場を自分で探すのは大変だからである。近年では医師不足の傾向があり就職は大きな問題点とはならなくなりつつある。


財前講座の人々
名前の下に流れてる文はそれぞれの名台詞です

財前五郎
ユウ・フォース!-財前五郎

大人になっても医者になってもまだ俺、もっと大きくなりたいって思ってるよ。きっと、一生思い続けるんだろうな・・・

浪速大学医学部第一外科教授

専攻は食道噴門癌。

実母は黒川きぬ、妻は財前杏子。岡山県和気郡に生まれたが、小学校の教諭をしていた父に小学生の時死なれ、母の内職と父の遺してくれた財産で高等学校まで進み、篤志家である近所の医師、村井清恵(せいけい)の支援で浪速大学に入学。

苦学生であったが、恩人村井の知己で、五郎の実力を高く評価した大阪医師会の実力者・財前又一の娘婿に迎えられ財前五郎となってからは、財前産婦人科医院という強力なスポンサーと本来の彼の実力で助教授にまで上り詰める。義父の建ててくれた西宮市夙川の豪邸に住んでいる。

愛人であるバー・アラジンのホステス、花森ケイ子は医大中退であり、財前が心を許せる数少ない相手のひとりである。

食道噴門癌を専攻し、食道・胃吻合術を得意とする財前は「食道外科の若き権威者」と評され、手術の腕前は師である東貞蔵の腕を遥かに凌ぐといわれている。また、財前本人も野心家であくが強く、しばしば教授を差し置いてのスタンドプレーが見られた。

その為、自尊心の強い東はその存在が徐々に不快になると共に、引退後の自分の影響力が薄れることを恐れ、母校東都大学外科教授の船尾徹に候補者の推薦を依頼。菊川昇という心臓外科の大家の推薦を受けた。

温和で学究肌である上に妻が夭折して鰥夫であることから未婚の長女・佐枝子の配偶者に最適と、財前の刺客として送り込んだ。また、同時に財前を快く思わない整形外科の野坂教授も、財前の前任である葛西博司を推した。途中、医局員の行き過ぎた妨害作戦や基礎の恩師である病理学教授・大河内への懐柔行為などが裏目に出るなどもしたが、僅差で財前が教授に選出された。

里見脩二は大学時代からの同期生。進む道も考え方もまったく対照的だが、お互い良いライバルとして、またよき理解者として接している。

自らが執刀した初期の噴門癌患者、佐々木庸平に関する医療訴訟に翻弄されつつも、鵜飼医学部長の勧めで学術会議選挙に立候補する。選挙では見事当選を果たすが、控訴審では一審とは異なり敗訴する。しかも財前の体は胃癌 (執筆当時の癌死亡率の第1位) に蝕まれており、かつての師である東貞蔵執刀の下、手術が行われたが、すでに手術不能なまでに進行しており、何もせずに縫合した。なお、2003年に放送されたシリーズでは、財前の病気は肺癌 (2003年当時の癌死亡率の第1位) に変更された。

緘口令が敷かれる中、財前の病状は次第に進行し、ついに肝転移による黄疸が出たことによって彼は自らの病を悟る。そして財前は里見を呼び、自らの病について問いただすが、やはり里見は答えない…。
原作では、財前は、本物のカルテ等を見せてくれるよう鵜飼医学部長らに頼んでほしい旨、里見に依頼する。一方、1978~79年に放送されたシリーズでは、財前は里見に向かって自分の過ちを認め、里見の手を取って悔恨の涙を流した。

2003年~04年に放送されたシリーズでは、鵜飼医学部長をはじめ第一外科医局員は財前に肺がんであることを公表したが、手術後は財前又一の強い要望によって財前が末期がんであることを隠していた。しかし、右手の痺れから脳転移に気付いた財前は、その夜、打ちひしがれながらも里見が勤務する千成病院へ向かう。駆け付けた里見は診察の末、財前に末期がんであることを告げ、今後のことを二人で話し合った。ここには、時代の変化によるガンの告知に対する考え方の違いが表れている。

それから間もなく財前は症状が悪化し、この世を去る。そして、枕の中から財前が残した手紙が発見されるが、原作が最高裁への上告理由書および大河内教授への自身の癌所見書であるのに対し、78年版では医師としての良心に目覚めた財前が里見へあてた感謝の手紙、そして2003年版では前二者を折衷した内容になっていた。これらの手紙に共通する文面は、癌専門医でありながら手術不能にまで進行した癌で死ぬことを恥じる、という財前の無念さが滲んだ言葉であった。

なお、財前杏子との間に二男(一夫、富士夫)がいる。ただし、2003~04年版では子供がいない設定に変更されている。

金井達夫

ユウ・フォース!-金井助教授
僕は財前派でも東派でもないよ。派閥は好きじゃない

浪速大学医学部第一外科助教授

専攻は胸部外科。

胸部外科を専攻し、東教授の直接の指導を受ける。派閥や徒党を嫌っており、佃や安西をはじめ権力者に媚びるような人間達を良く思っていない。中立派のひとりであり、稀に財前に対し歯向かうことがあるため、良心は決して失っていないと思われる。

佃の前任の医局長で「滝村名誉教授喜寿の会」の段取りの件にかこつけた佃医局長の工作に、「自分は誰にも与せず自分の意思で財前助教授が次期教授が相応しいと思う。」と答える。その後、東教授から、対立候補である金沢大学・菊川教授を引き合わせられるが、特に積極的には教授選に関与せず、財前教授就任後は助教授に昇格する。財前教授の外遊中は医長代理を勤め、佐々木庸平の臨終に立ち会う。裁判では一審、二審共に財前側の証人に立ち、胸部外科の立場から財前を擁護する。

財前の発病後は透視を行って進行癌を発見。鵜飼医学部長らと対応を協議、受持医となり手術の際は第一助手として東を介助する。その他、財前と似た胃のかたちをした胃潰瘍患者のフィルムの探し出し、その患者の摘出胃の標本作成など緘口令に基づいて様々な段取りをしたり、里見に病状の経過を報告する。財前の病状急変後は徹夜で看病し、肝性昏睡が始まった後は付き添ってその臨終を看取る。


財前教授の助教授として女房役(右腕)を務めるが、実質的な女房役は財前の信任厚い佃が担当している。

金井自身も派閥が嫌いな一匹狼なので財前との仲は悪いわけではないが、特に仲良くもない。

終始財前教授に対する態度がビミョーだったので財前の死後も浪速大に残れた。


佃友博
ユウ・フォース!-佃講師

財前先生のために力を尽くします!
浪速大学医学部第一外科講師

父親は医師会の中心人物。極めて功名心が強く、教授選を控えた財前五郎助教授から次期講師の座をほのめかされたことに感動、病棟係の安西などと協力して医局内の強力な意思統一をはかる他、先輩の金井に接近して支持を取り付けるなど、財前が驚くほどの大胆な行動も見せる。教授戦が財前と金沢大・菊川教授との決選投票になった際は、安西と共に金沢に乗り込み、菊川に教授選候補辞退を強要、拒否された為に「当選しても医局員全員は菊川教授には一切協力しない。」と捨て台詞をはく。これが菊川を推薦した東都大学の船尾教授の耳に入り、窮地に立つが、財前の当選で事なきを得るどころか講師に昇格する。

その後、財前が鵜飼医学部長から学術会議会員選挙の立候補を打診された際は、鵜飼の本意が内科学界で台頭しつつある洛北大学・神納教授の対抗馬として立たせ、その対面を失わせることで内科学会における自身の影響力を確保することにあることを調べ上げ、財前に立候補を思いとどまるよう具申。しかし財前の決意が固いことを知ると、学会仲間のつてを頼って洛北大学の系列大学に水面下の工作を行う他、選挙対策本部に詰めて10人の専従員を統率した。

また、誤診事件の控訴審では、たまたま佐々木庸平とは別の患者の断層撮影を申し込んでいたことを思い出し、この際の台帳が放射線科に残っていたこともあってこれを悪用し、「財前教授は肺の転移に気づいていた。」と証言。しかし、これは元病棟婦長、亀山君子の証言で覆された。なお、佐々木庸平に酷似した安田太一を初診したのは佃であった。

このように財前教授にとっては忠実な部下であったが、医局員に対しては横柄で尊大な態度だったため、医局内での評判は悪い。また、前任教授の東の評価は「要領はいいが、あまり勉強しない方だ」と低い。

財前が癌に倒れた際は、手術で第二助手を務め、病状が悪化した後は泊り込みで必死の看病に当たった。術後1ヶ月後の朝、財前の往診に行って異変に気づき、肝性昏睡が始まったことを金井に伝えた。


表向きは金井が助教授だが、財前の信頼が厚いのは佃のほうで、佃と金井でいがみ合うこともあった。

財前の信頼厚き”影の助教授”として様々な院内工作を行い、裁判のときは財前と一緒に柳原に圧力をかけ、カルテの改竄を強要した。

財前の信奉者であったために財前の死後に新任教授が来ると、やりづらいという理由で浪速大から追放され地方の病院へと飛ばされた。


安西信也

ユウ・フォース!-安西医局長
財前講座教授総回診宜しくお願いします!

浪速大学医学部第一外科医局長

第一外科筆頭助手を勤める医師。医局長・佃友博と共に財前助教授の教授昇格に奔走し、金沢まで乗り込んで対立候補の金沢大学菊川昇教授に立候補辞退を強要した。その功績あって佃の後任の医局長に就任。

医局の管理統括をする立場ではあるが、財前教授の親衛隊的な動きが多く、学術会議選においては選挙対策本部に詰めて選挙運動を統率した。また、開票日には上京して学術会議本部に詰め、開票情報の収集と選対本部への速報にあたった。選対に当選確実を告げる電話をしたのも安西。財前への忠誠心は人一倍強いが、医局員達には尊大で労わりに乏しかったので評判が悪く、陰で「クロスケ」などと呼ばれた。


財前の信奉者であったことから財前の死後は佃と一緒に地方へ飛ばされる。


柳原弘
ユウ・フォース!-柳原弘

財前先生の言ったことは嘘です!!!

浪速大学医学部第一外科医局員

専攻は胸部外科。

入局後は東貞蔵の元で胸部外科を専攻。周囲の支援を得られず奨学金で医学部を出た苦学生。自身と似た境遇を持ちながら高い手腕を以って名医と呼ばれるまでになった財前に強い憧れを持っており、その間近で学べることに喜びを感じている。しかし、後任教授選に端を発する医学部の旧態依然とした動向、それに伴う財前の様々な工作に巻き込まれ、自身の将来に対する不安や良心の呵責の中で苦悩する。

第一内科から紹介された噴門癌患者、佐々木庸平を担当する。教授回診の際、念の為に胸部エックス線検査を申し出るが、財前は即座に却下する。その後、佐々木庸平を初診した第一内科・里見助教授から呼び出され、「エックス線検査はしたか? していないならば早くするように」と勧められるが、教授の許可なしには出来ないと断る。里見がそのことで財前と口論となり、柳原は「何故、いちいちそんなことをよその科の助教授に言う必要があるんだ!」などととがめられ、その後暫くの間はこのような財前教授と里見助教授の板ばさみに遭って苦労する。佐々木庸平の手術では第一助手を務めるが、こうした一連のやり取りを忘れてしまうほどその手技に感服する。

術後1週間ほどで佐々木庸平の容態が急変。家族の強い要請で財前の診察を請うが財前は「術後肺炎だから抗生物質で叩け」の一点張りでにべも無く、抗生物質の効きが悪いと訴えても応じず、しまいには「君は医局に入局して一体何年になるんだ!」と面罵。家族のためにも一度でもいいから往診してあげて欲しい、という柳原の依頼にも応じなかった。

佐々木の容態は改善せず、ついに呼吸困難の発作を起こす。胸腔穿刺をしたところ、血性の胸水が吸引された。柳原は、渡航中の財前の代診の金井助教授に診察を依頼。酸素テント、カンフルなどの措置を施したが、患者は死亡した。里見が遺族を説得して遺体は大河内教授により病理解剖に附され、その結果胃噴門部の癌が肺に転移し、その転移巣の急激な増悪によって癌性肋膜炎を発症、それにより胸水が貯留して呼吸困難を起こしたという結論に達した。その結果を聞いた遺族は財前への告訴を決意する。そして、柳原は里見の許可を得て、里見の名で佐々木の死を電報でドイツにいた財前に伝える。

財前の帰国後は、告訴されて怒り狂った財前に「間抜け」呼ばわりされて当り散らされ、ついにはカルテまで投げつけられるが、その後に財前は態度を急変。将来を考えるなら自分の指示通りに証言するようにと圧力をかける。

第一審で被告・財前側の証人として出廷した柳原は、原告側の証人として出廷した里見と相対する。原告代理人の関口弁護士の鋭い尋問、更には対質尋問にまで持ち込まれる。挙句の果てには被告側弁護人からも「あなたの措置に何か欠けるところがあったのではないか?」と、責任転嫁のような尋問をされるが、柳原は「自分が未熟であった為に」と答弁する。その夜は佃講師以下有志による慰労会が催されたが、柳原は良心の呵責にさいなまれ、美酒に酔うような心境ではなかった。

第一審の判決では被告側の勝訴に終わったが、原告側は控訴する。財前は学位に加えて老舗薬局の令嬢野田華子との縁談まで持ちかけて硬柔取り混ぜて囲い込みを図る。しかし、関口弁護士の訪問、人伝に聞いた佐々木商店の窮状、大河内教授からの一言など、常に葛藤にさいなまれる柳原の心は晴れない。医局は財前教授の学術会議戦立候補で混乱し、数少ない親しい後輩である江川達郎は組織票への見返りに人材供出されることになり、舞鶴総合病院に出向した。江川は舞鶴に行く直前に、自分は財前の過失の証拠を知ってる、と柳原にほのめかし、柳原は動揺する。その上、出廷直前に佃友博、安西ともに料亭で行われた壮行会に出た際に、泥酔した安西から、江川が選挙の票と引き換えに供出されたことを聞かされ内心激怒する。

第二審でも被告側証人として出廷した柳原は、関口弁護士の鋭い質問にたじたじとなった上に原告の佐々木よし江に泣きつかれたが、何とか勤めおおせた。しかし、その後に行われた財前教授の学術会議当選を祝う医局内の祝宴では、財前は「君はうれしくないのかね?」と、さもお前はもう御用済みだといわんばかりの冷淡な態度で下戸の柳原を揶揄、江川のこともあり、柳原は激しく憤る。

次の公判での当事者尋問の際、財前は関口弁護士の尋問で言葉尻を捉えられて窮地に立ち、全責任を柳原に転嫁する証言をする。積年の忍従と屈辱が爆発した柳原は「嘘です!」と絶叫しながら法廷内に走り出る。在廷証人として財前と対質尋問で対決した柳原は真実を証言。それに対し財前は柳原をノイローゼだと決め付け、法廷では野次と怒号が飛び交い一時紛糾した。さらに、河野正徳弁護士からは「偽証罪で訴える」と脅されるが、柳原は「これまでの発言で偽証罪に問われても悔いは無い」と発言。結局、裁判長が双方に一ヶ月以内の書証提出を命じてその日の裁判は閉廷した。
しかしその後、証拠物件を持っていないことに煩悶しつつ自室で関口弁護士と話し合っていた柳原に、江川から「ショウコアル」との電報が届く。大阪駅で江川を出迎えた柳原は、江川と共に積もり積もった思いを打ち明ける。医局の抄読会記録係をしていた江川が持ち出した記録は、財前の誤診の決定的な証拠となるものであった。 

柳原は翌日以降、病気と称して大学に行くのをやめ、財前は柳原を除籍にこそしなかったが事実上「追放」して系列病院及び大学へ行く道を断った(1978年版では、江川と共に除籍されたことが最終話冒頭の財前の発言で明らかとなる)。その後、野田家からは破談の手紙一枚を送りつけられる(引越しの日になって柳原は初めて中身を読んだ)。そして、次の公判で柳原は江川とともに出廷し、柳原の口添えで江川は在廷証人として財前と対決した。

控訴審では財前は敗訴し、そのまま病に倒れる。判決の翌日になって柳原は浪速大学に辞表を提出した。里見は柳原に恩師・東が院長を勤める近畿労災病院への就職を斡旋したが、柳原はこれまでの偽証を償うべく、一人高知県の無医村、檮原町松原地区に旅立つことになった。父親に申し訳ないと思いつつアパートを引き払い、里見の家を訪れた際、柳原の強い意思を知った里見から、無医村で学位論文ができたら自分に送って欲しい、東と相談してしかるべき大学で学位を取れるよう力添えをしよう、と言われる。それを聞き、里見の浪速大辞職が自分の偽証のせいだと自責の念を抱いていた柳原は感極まってしまう。そして、財前を見舞ってはどうかと勧める里見に対して、偽証をしてしまった自分以上に、第一審から3年間も自分を苦しめた財前は絶対許せない、と言って拒否している。その後、佐々木よし江の元を訪れて謝罪しようとしたが、共販所での佐々木親子の厳しい現状を見て自身の甘さを恥じて黙って共販所を通り過ぎ、その日の夜行で梼原へ発った。

なお、財前は手術後に東の往診を受けた際、術後の佐々木庸平を一度でもいいから往診して欲しいと頼んだ柳原のことを思い出したが、あくまで彼を憎み続け、臨終の際まで面罵した。


最終的に除籍を免れ浪速大に残り、財前の死後は、財前派を脱しているという経緯から地方へ飛ばされずに済む。

愛称はヤナ

外科医としては弱気でオドオドした態度のため患者から不安がられることがある。

財前に激しく怒られて涙目になってしまったり、財前の舅の又一に懐柔されたり、挙句の果てには財前の診断ミスを柳原のせいにされ、罪をなすりつけられてしまう。


亀山君子
ユウ・フォース!-亀山看護師

大学病院というところが嫌になったからです

浪速大学付属病院第一外科主任看護師

第一外科教授・東貞蔵の信任が厚かったが、東の退官、財前五郎の教授昇格後間もなく退職。一般の患者と特診患者をあからさまに区別する財前の姿勢を好ましく思っていなかった。在職中に塚口雄吉と結婚(1978年版ドラマでは亀山雄吉と結婚したという設定で、旧姓は不明、2003年版では独身)。

懐妊して近畿労災病院を受診した際に東佐枝子と再会。その際に、佐々木庸平の裁判の話になり、ふと「総回診の際に受持医の柳原弘が財前から叱責された」と語る。その後、東佐枝子や原告側代理人・関口仁弁護士の度重なる訪問を受けるも、妊娠中の身であるために医師の不興を買うのを恐れ、かつ雄吉の賛意も得られずに辞退。しかし、被告側代理人の国平弁護士による雄吉への圧力を機に出廷に同意。あえて在廷証人というかたちで出廷し、教授総回診の際の顛末の一切を証言した。


平成版では柳原と親密な関係になってる。また亀山のほうが柳原より年上らしく、医師だが頼りない柳原に頼られる姉御肌なところのある女性。



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