テレビジョン放送#3
【日本におけるテレビ放送の歴史

日本のテレビ放送は1953年(昭和28年)2月1日にNHK、8月28日に民間放送の日本テレビの開局によってはじまった。
当初、テレビの受信契約(NHK)による台数はわずか866台であったが、その後1958年(昭和33)までの普及は諸外国に比べてひじょうに速かった。
テレビ放送の初期、街頭テレビや飲食店でテレビを見ていたところの番組は見世物的な性格が強く、その内容はスポーツ、劇場中継、劇映画、クイズなどが中心で、内容・技術とも水準が低かったが、テレビが珍しかった当時の視聴者は一応満足していた。
1958年(昭和33)以降、各地方で民間放送テレビが開局し、視聴者はチャンネルの選択ができるようになり、放送時間も延長され、番組内容も多岐にわたるようになった。
1959年(昭和34)には皇太子の結婚パレードが全国に同時中継された。
この年、東京の民間放送局は4局となり、これらがキーステーションとなって地方局との間に四つのネットワークが形成された。
当時の日本は高度経済成長時代にあたり、大衆の所得の伸びと受像機の価格の低下という理由も加わって、テレビの普及は爆発的なものとなった。
放送時間が夜から昼へ、昼から朝へと延長されるに従って、ラジオと同じにテレビにも〈ながら視聴〉の習慣が生じてきた。
1961年(昭和36)ころからは番組の長時間化〈ワイド化〉が進み、1963年(昭和38)にはドラマ・ブームを迎えた。
一方、ありきたりの内容では視聴者を満足させることができないとして、刺激の強い番組も現われ低俗というレッテルがはられた。
低俗番組に対する批判はその後も続いている。
1964年(昭和39)には第18回オリンピックが東京で催され、人工衛星によって世界中に中継された。
また、この年には〈大河ドラマ〉が登場し、ホーム・ドラマや関西喜劇も人気を獲得するようになった。
1971年(昭和46)1月31日現在、NHKのテレビ受信契約台数は普通、カラー合計22,688,765台、普及率94.2㌫である。
カラー放送はNTSC方式によって1960年(昭和35)にはじまった。
また、従来のテレビ放送はVHFを主体とし、UHFは小電力の中継用に一部で用いられていただけであったが、近年ますます強まる放送多様化の要求にこたえるため、1967年にUHF親局の予備免許が与えられ、また68年には郵政省が〈全面UHF帯への移行〉を決定して、VHFテレビとUHFテレビの混在時代に入った。
70年1月現在、民放テレビ78社のうち、VHFが46社、UHFが32社である。
さらに、最近注目されているのが有線テレビである。
従来、これは地方の難視聴解消のための共同視聴施設として発展してきたが、最近では都市における高層建築物による難視聴解消のために、高性能の同軸ケーブルを利用した共同視聴施設CATVの建設が進められている。
CATVはテレビ放送だけでなく、将来社会の通信路幹線として大きな注目を集めている。
(柳瀬 昇&藤竹 暁)