(^∀^)ノ 4
)秋晴れ
)MA 9・08頃
■歴史研究004 / ○本政府は弱腰
ただし、その中国自身よりも先に、尖閣諸島は中国領であると "騒ぎ立てた" のは、むしろ他でもない一部の○本人だったのだと、評論家の宮崎正弘氏がこう指摘する
「最初に言い出したのは、京都大学の故・井上清名誉教授や、歴史家の故・羽仁五郎氏などでした。むしろ、研究者というよりアジテーターのような人たちが中国や台湾を焚きつけたと言っていいと思います」
実際、72年には両氏など95名の知識人が『日帝の尖閣列島略奪阻止のための会』を結成し
〈尖閣列島は日清戦争で○本が強奪したものであり、歴史的にみれば明らかに中国固有の領土である。われわれは○本帝国主義の侵略を是認し、その侵略史を肯定してしまうことはできない〉
という声明も発表しているのだ。そして、この声明がほぼそのまま、中国側の主張の大要でもある。
その中国の主張を
「私は日中どちらの代弁者でもありません。ですが、明代から清代に至るまで、尖閣諸島は紛れもなく中国領でした」
と、横浜国大教育人間科学部の村田忠○教授がこう補足する。
「それは明代以降の文献で確認できます。具体的には、1562年の『○海図編』、1621年から28年の『武備秘書』、1708年の『指南広義』など、中国の地図には『釣魚○』として、尖閣諸島の魚釣島が記載されているのです」
しかし、である。
そうした中国側の根拠は、やはりまともな根拠とは言えないのだと、拓殖大○本文化研究所客員教授の黄文雄氏が、こう論破する。
「中国は明の時代の地図をもとに領有権を主張していますが、そもそも当時のアジアには今のような国境や領有権という意識はありません。それに、単に地図に地名が出ているだけでは、支配についての文献記述がなければ明確な根拠にはなりえないのです。国際法では、誰も住んでおらず、他国の支配も受けていないことを確認し、実効支配すれば領土として認められます。○本は1895年、まさにその手続きを踏んで編入し、そして当時から70年以上も、清および中国は異議を唱えなかった。国際法上も史実上も、尖閣諸島の領有権は○本のものでしょう」
ちなみに、台湾の主張も基本的には中国の文献と大陸棚を元にしたものだが、加えてもう1つ、尖閣諸島が戦時中、○本軍の台湾司令部管理下に置かれていた点も根拠に挙げている。つまり、その台湾司令部の維持費は当時の台湾総督府が支払っていたのだから、台湾が実効支配していたことになる、という主張である
「これも非現実的な主張です。だって、台湾司令部というのはあくまで日本軍が海外に派遣している一部隊に過ぎないのですから、○本軍、ひいては日本の傘下にあることに違いはありませんからね。何より、1970年以前の台湾の教科書には、尖閣諸島は○本のものであるとちゃんと明記されているんです」(黄教授)
要するに、○々みてきた通り、竹島も尖閣諸島も、どう考えたって紛れもない○本固有の領土に違いないのだ。なのに、何故こういつまでも因縁をつけられ、逆に実効支配をされ続けねばならないのか
「○本政府は弱腰で、○本という国は自国の領土すら守れないと思われているからです」(黄教授)
「領土、資源問題では、有効国であっても言うべきことは言い合うべき。○本政府の行動はあまりに情けなさすぎます」(3.平松茂雄氏)
新内閣を立ち上げたばかりの○田首相にこそ、よくよく、、、してもらいたい
■「竹島」「尖閣諸島」は誰のものか
※アジテーター / AGITATOR / 扇動者
(おだてて そそのかす)
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