どうも。
先日、ムスメのホストファミリーが決定しました
ムスメと同い年の女の子のいるご家庭で、イタリアはボローニャの近く。
ムスメは、早速、イタリアとネットでやり取りをしています。
ホストシスターは4カ国語を話せるらしく、2人の会話はもっぱら、
英語とイタリア語と日本語。
イタリア語と日本語をお互いに教え合うために、英語を使っています。
凄いなと思います。
リアルタイムだから、文通時代の親世代と違って(笑)習得のスピードが違います。
実況中継します。
人種差別の話をしています。
日本庭園の話になっています。
私とムスメがそっくりという話になっています。
将来何になりたいか?どんなことをしたいのか?という話になりました。
そして・・
朝ご飯、何食べてんの?という話になっています。
あ、今度はスペイン語レッスンがはじまりました。
あちこちに話が飛ぶところは、やはり女子高生だなと思います
そんな姿を見ながら・・・
この子たちが大人になった時、世の中はどうなっているだろうな?
そして彼女たちは何をしてどんな風に生きているのだろう?
親として私たちがこの子たちにしてあげられることはなんだろう?
と、最近よく考える様になりました。
まだ小さい時は、そんな余裕はありませんでした。
泣いて帰ってきた、宿題してない、プリントがなくなった、忘れ物した、
上履き洗ってない、嘘をついた、お友達と喧嘩したとか。。
日々起きる些細な目の前のことに、親も翻弄されていました。
親もまだまだひよっこです
いっぱい笑って、一緒に泣いて、いっぱい話して、いつしか無視されて
気がつくと、いつの間にか子どもは大きくなっていて、
大人の言動の不一致を指摘するようになり、世の中のおかしなことに気づく様になり、
人間関係に悩むようになり・・
子も親も、第2、第3ステージへと進んでいくのであります。
大きくなれば大きくなったで、喜び、悩みや心配の中身も変化してきます。
子育てしてきたからこそ、一緒に親も育つ。
子育ては理論では語れない・・
長男が今年25歳になり、やっとやっと、自分の足でしっかり立つ様になったな
と思えてはじめて、子育ては実践以外の何者でもないと思うようになりました。
やり直しのきかない一発勝負です。
自分の子育てを振り返ったとき・・
仕事に追われて、いつも綱渡りの毎日で、全然だめだめな親でしたけど、
これだけは、よかったと思う事。
それは、
「自分のこどもでも、一人の人間として接する」ということと、
「選択の決定は本人にさせる」ということだった気がする。
これは意識してやった訳じゃなくて、振り返ったらそうしてきたなと、気づいたこと。
あとは、好きな物をおなかいっぱい食べさせる
(これは思春期・反抗期の男子)には有効だと思っている。
おなかいっぱいだったら、悪い事しようって思わないでしょう?というのが
男の子を2人育てた、私の母の教え。
息子が中学高校の時は、食べ盛りの男子がわんさか我が家に来てご飯食べてたよ。
みんないい子だった。
そして、環境や場を選べるようにしてきたかな。
我が家のこどもたちには、選択の自由があった。
親として、この子の最適な場所はどこなのか?
どういう場所を選べば、この子が生き生きと輝けるのか?
というのはいつも 夫婦で話し合ってきた。
そして、最後はこどもたちに決めさせる。
そのためには、一緒に情報を集めたり選択肢を広げていく手伝いはした。
でも、決してこうしなさい、ここに決めなさいという言い方はしなかったし、
こうして欲しい、この道へ進んで欲しいという期待も伝えなかった。
学校だって変わりたければ変われるし、引っ越しだってできるんだよ。
習い事もずっと、そこじゃなきゃだめってことないんだよとか。
本心では、こどもの選択にがっかりしたり、残念だったりな思いもしたけれど、
この子が自分で決めたことだから、後悔はしないだろうと。
そこは夫婦で慰め合ったりもした。こどもたちに悟られない様にね
なんでうちの子、勉強してくれないんだろ?とか、
もうちょっといい学校、入れたんじゃない?とかそれは正直、思ったよ。
でも、それも親のエゴだからね。
こどもたちが環境や場を選べる家庭環境を作ること、そして、
安心して帰れる巣箱をいつも用意してあげること。
最低限これだけは、親の役目だと思ってね~
でも、それもこどものためじゃなく、私たち夫婦がお互いに家庭を心地よい
場所にしていただけ。
自分たちが心地良ければ、こどもも窮屈は感じないだろうしね
今回のムスメの留学も、自分で自分の生きたい、行きたい場所を自分で決めたってこと
で、心から応援したいと思っています。
・・・のためにも、経済が回るようにしておかないとね
さ、仕事に行こうかな。