昭和18年でしたか李香蘭は台湾の霧社でロケをしました。

蕃社の高砂族の共演もあり夢とロマンを多くのキネマフアン

与えた。中国の満州の満鉄の中国語を教えた彼女の

父上と住み、後中国風に中国人の養女になり同僚には

日本人と見破られることが無かった生粋の日本人で中国

人を演じた女優であった。満映協会の国策に従い日満中

の国策俳優として巧みな中国語と素晴らしい歌唱力で

人々を満喫させた。「夜来香」という甘い、高い声で哀しい

歌を知る人は多い。戦時中は再三日本に来て舞台を

披露したが、恋の噂が立ったのは、外交官の息子とか

戦争末日本政府の御付人だった青年達との恋であったが

これらの青年達は二人とも徴兵に取られて、比島で戦死

して終わった。恋文の数が比島から随分李香蘭のもとに

着いたが戦死の後であった。上海の中華電影会社の代表

であった、川喜多長政にまちがえられて射殺された台湾

人で日本に留学、東京で教育を受けて、日本国籍を持ち

ながら中国人と称して映画界で監督、脚本家として活躍

したのが劉ロ丙鴎でありました。テロにあったのは、1940

年9月、敵国日本に協力的であったから射殺されたといいますが、
真相は不明です。台湾では今でも語られる暗殺事件で

ありますが、李香蘭こと山口淑子さんの口から最近

「私は彼と合う約束があったので、彼を待っていた」と語られました。。
当時李香蘭は抗日派には「売国奴」であります。その危険

をおかしてまでも出生が違うだけで、似た境遇の二人が

共通点も多いはずでしたが何の目的だったのでしょうか。。

国と国の狭間の間で生きた者

しかわからない苦悩、苦渋もあったのでしょう。

なぜ危険を冒しても李ロ丙鴎氏が会う約束をとったのか、

追求すると夢とロマンが広がるかもしれません。戦後

山口淑子さんは川喜多氏と同じ船で中国から干魁として

裁判にかけられたが、無事日本国籍を証明できて帰国

できたのです。川喜多氏は出港の港でも、もめた彼女の離

陸時には自分は最後まで彼女を日本に連れ帰る責任感強

く、一緒に留まる決意であったそうです。

そして戦後参議院議員になり、日系米人

野口イサム(彫刻家)、外交官の(大鷹氏)と結婚して、

現在も健在でおられます。

彼女の人生が日本のアジアの歴史であります。そして

夢とロマンを掻き立てます。