シロは、あの公園に、帰っていった。

シロが、不妊手術で、D動物病院に入院して、そして、主人の仕事場で、2日間すごしていた間、三毛と茶シロの子猫2匹は、公園に隣接した住宅地のとある民家の縁側で、ポツリと、2匹して、寂しく座っていた。

母親の後をついてばかりいた子猫であったから、シロが主人の仕事場にいる間、私の餌場にも出てこなかった。
だから、実際のところ、何処で、2匹がその2日間を過ごしたのかは、定かではない。

シロは、あの公園にリリースした。そして、あの公園から、住宅地へと消えた。
だから、あの公園から、子猫の元に帰って行ったのだと、思うが、シロが公園に帰ったその後、シロと子猫2匹が、連れ合っているところは、そんなに見なくなった。
子猫自身が、時期は少し早かったが、親離れをする時期であったことと、そして、シロの体に染み付いた動物病院のなんともいえない独特の匂いが、子猫にシロを母親と認識させなかったのかもしれない。

シロを、不妊手術へ連れて行ったその時が、シロと子猫2匹の離別の時期となってしまったようだ。

その後、三毛と茶シロの子猫は、シロとは別行動で、2匹連れだち、私の餌を食べに公園にやって来た。
毎日、毎日、決まった時間に、待っていたし、シロも、同じ場所で、餌を食べていた。
しかし、シロと子猫2匹の間には、少し距離があった。

私は、シロの不妊手術が終わったとき、簡単なチラシを作り、公園周辺の住宅地にポスティングすることを考えていた。

シロが、三毛と茶シロの子猫を産んで、育てた場所は、公園に隣接した古い家の物置で、この家の主は、若い男性であったが、私が公園の野良猫に餌を上げていることを、嫌っていたし、一度、野良猫のことで、その主と、話をしたことがあり、猫が自宅の物置で子猫を産むことに、相当迷惑をしている様子であったからだ。

若いその家の主に、
「餌をあげないでくれ。」といわれたが、
私が、
「野良猫が、自分の見えないところに行ってしまえば、それで、よいんですか。自分の自宅の庭から嫌なものがいなくなればよい、それで、いいんですか。」と、答えたら、
その若い男性は、黙った。

公園周辺の住民に、シロたちは、全面的に歓迎されていたわけではなかったわけで、まあ、私は、そんなシロたちに、少しでも、住みよい環境を、公園周辺の住民達が作ってくれたらと、願っていた。
せめて、シロたちが、虐待などされない環境をと、単純に考えた。

だから、チラシを作った。
ワープロに非常に簡単な文章を打ち込んだ。
「シロという野良猫がこの住宅地に住んでいて、何回もお産をしているので、不妊手術をしました。だから、今後、シロが子猫を産んで、野良猫が増えることはありませんので、温かい目で、シロを、見守ってください。」なんていう文であったと、思う。

ワープロで打った文章を、コンビニでたくさんコピーして、公園周辺の住民の各家庭に、ポスティングした。

このチラシを公園周辺に住む人たちに、読んでもらったことで、シロとの出会いは、私とシロとの出会いだけでなく、私とシロが住む公園周辺の人々との出会いにもなった。
私とシロとの関係が、シロを介して、私と、公園周辺の人たちとの関係に、広がった。


その後、シロの子供の三毛猫とその子供2匹を引き取ってくれ、また、主人がスーパー前で、保護した老犬コロを、団地住まいだから保護することが出来なくて困っていたところを、見かねて、手を差し伸べてくれたSさんとの出会いも、このチラシをポスティングすることがなければ、なかった。

しかし、このチラシを配布したことで、住民の中には、私に、捨て猫に関することを、全面的に頼ろうとする人たちが出てきたことも、事実だった。
ヤズを、引き取って、その後直ぐに我が家に来たアンリは、このチラシをみた住民が、捨て猫がいるよ、連れて行ってくれるんでしょうと言って、連絡をして来た猫だった。

私は、なぜか、その後、多くの日本人が持つ「他者依存」という体質を、犬猫のことを通じて、痛感することになった。
そして、「捨て犬・捨て猫に出会ったとき、その犬猫にコミットしたこと、《そのこと》に、責任の取れる人は、この日本には、なかなかいない。」ということを、アラン、トマスが、我が家にやってきてからの、その後の15年間で、私は、イヤというほど、経験することになるのだった。



nora