私が最初猫を飼ったのは、1990年の11月頃で、次の年の3月末には、トマスはもう我が家の家猫になっていたし、トマスが我が家に来たその2ヶ月後には、ヤズというオス猫を、例のD動物病院から貰うことになったから、考えてみると、私は、超スピードで、多頭飼い飼い主になっていったことになる。

ヤズ君は、私のHPの名前になった猫だけれども、生まれてまもなく、兄弟と数匹で捨てられ、D動物病院の保育器で、育った猫だ。
保育器で、病院のスタッフが、懸命に育てた猫だ。

へその緒が付いた子猫も、何回も保護しているが、母親の初乳を全く飲んでいない子猫は、まず100%と言っていいほど、育たない。

犬も猫も新生児は、薄い膜に覆われて生まれて、これを母親が、丁寧に舐めてきれいにしてあげるわけだけれども、この薄い膜に覆われたまま母親の初乳を一度も吸っていないまま捨てられた新生児を、保護したときには、人は、悲鳴をあげるような苦労をする。
そんな経験は、いっぱいある。
新生児を保護するたび、犬猫の母親の偉大な力を感じる。
捨てられた新生児は、まず、体を覆っていた薄い膜を、母親によって全くきれいに舐められていないから、新生児の手や足の小さな指の間などが、そのうち、腐敗し始めるのだ。
捨てられた新生児は、初めは人口乳をスポイトで少しずつ飲んでいくが、そのうち、必ずミルクを受けつけなくなり、そして、全く飲まなくなり、一気に弱りだす。

ミルクを飲まなくなったら、もうその新生児は、生きることはない。

D動物病院は、今でもだけれども、捨てられた子猫を預かっては病院の通りに面した側にあるちいさなウインドウの外から見えるように、ケージを置いて、里親探しをしていた。
病院には、一種の飾りウインドウがあり、その窓を覗き込むと、中には、飼い主を待っている子猫がいつも数匹じゃれあっていた。
ヤズ君は、保育器で、奇跡的に育ち、そして、D動物病院の飾り窓の中で、他の子猫と共に、飼い主を待っていた。


5月連休ごろから、子猫はたくさん生まれる。

トマスが我が家の猫になってから、2ヶ月が経とうとしていたころ、団地の子供たちが、がやがやと何かを持って一階の階段下の物置で騒いでいた。
何をしているのかと思い、
「どうしたの。」と尋ねたら、
一番小さな子供が、「捨てられていた子猫を、お母さん達に内緒で、この物置で、飼うんだ。」と教えてくれた。
物置といっても、下は土間で、陽は全く当たらないじめじめした場所であった。私はその場所を見た瞬間、この子猫は、多分直ぐに病気になるだろうな、そして、病気になった子猫を、子供だから、だれも、病院には連れて行かないだろうなと、思った。

「お母さん達が、飼ってはいけないというなら、やはり、この秘密の場所でも、飼えないのよ。」と私は言った。

子供たちのお母さんたちが、全員集まってきて、いろいろ話し合ったが、結局、子猫は、どの家でも飼えないという結論になった。
一番小さな子供の両手で抱えられた子猫の行き場所が、宙ぶらりんになってしまった。

私は、おもむろに、「飼ってくれる人を探そうよ。」と、言った。
そう言った手前、私が、その子猫を一時的にでも引き取るのが良いのだろうと思い、
「おばさんが、この猫は預かって、誰か飼ってくれる人を探すよ。」と子供たちに言った。
お母さんたちも、それが一番良い方法だと言って、「お願いします。」と、子猫を私の手に置いた。

子猫は、きれいな白地に薄い茶色が入った模様で、生後わずか1ヶ月位の大きさだった。
D動物病院に、すぐに健康診断のために、子猫を連れて行った。

病院で、蚤の駆除やら、検便やらを、していただいた。
そして、先生に子猫を保護したいきさつを少し話した。

院長先生が、「しばらく病院で子猫を預かって、里親さんを探してみましょう。」と、言ってくれた。
子猫は、病院にしばらく置いてもらえることになった。


病院のスタッフが、飾り窓の内側にある小さなケージを持って来た。
そこには、捨てられ飼い主を待っている子猫が数匹入っていたが、その数匹の子猫の中に、一匹だけ体の大きい白黒猫がいて、生後一ヶ月から2ヶ月の子猫たちに囲まれると、なにか違和感があるような図体の大きい猫で、顔も少しくしゃんで、あまり見栄えはよくない猫であったから、私は、フト哀れになり、その猫のことが気になり、先生に、「この猫は、生後どのくらいですか。」と、白黒猫を指差し、尋ねてみた。

「この猫は、赤ちゃん猫の時に、兄弟で捨てられ、この病院の保育器で育って、そして、里親さんを待っているんですが、なかなか貰い手がいないんです。」と、スタッフが説明してくれた。

「そうですよね。子猫を欲しがる人は、生後1ヶ月とか2ヶ月の子猫がいいんですよね。」と、私は、このケージに入れられ、多分3ヶ月以上の長い間、飼い主が現れるのを待っているその白黒猫の体の大きさを見て、ポツリと言った。

今後も、誰からも見向きもされず、気にも留められず、そして、誰からも忘れ去られていくであろうその猫のことが、胸につかえた。

「うちで、貰っても良いですか。」
思わず口から、出てしまった言葉であった。
そして、早口で、ためらうことなく、言ってしまった。
「私が、飼います。」

私が、子供たちから預かった白地の多い薄い茶色の模様の入った1ヶ月の子猫を、スタッフはケージに入れ、その代わり、もう4ヶ月になるだろう白黒子猫を、私の持参したキャリーバックに入れてくれた。

ケージの中の子猫たちは、白黒子猫がいなくなったら、みんなその背丈、大きさは同じで、なんとなく、私はほっとした。

これが、私とヤズ君との出会いの始まりだった。

トマスを引き取りその後直ぐにヤズ君が我が家の猫になった。

私は、恐ろしいほどのスピードで、猫族に、魅せられてしまったのだった。


病院からは、その後、白地の多い薄い茶色の模様が入った子猫の里親さんが見つかったと、連絡があった。

diary084